家宝

2003/03/20 TCC試写室
ストーリーの肝心なところを観せてくれない手法は欲求不満を生む。
せっかちな人間にこの監督の映画は不向きなのか。by K. Hattori

 ポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラは、1908年生まれというから今年で95歳。それでいて今もバリバリ映画を撮り続けているのだから、なんだかエネルギッシュなじいさんである。ここ10年ほど、毎年1本のペースで長編映画を撮り続けているのだからすごい。『アブラハム渓谷』『階段通りの人々』『メフィストの誘い』『世界の始まりへの旅』『クレーヴの奥方』『家路』などが日本で公開されているが、僕自身にとっては好きとか嫌いという評価の外側にいる映画監督だ。そもそも僕はこの映画監督の作品をそれほど観ていないし、観ても何か語りたくなるほどの感銘を受けたことがない。

 僕がこの監督の作品に持つ印象は「退屈」という一語に尽きる。だが今回この『家宝』を観て、そのようなつれない一言で済ませてしまうのもだいぶ乱暴な話だと思い直した。僕にとってこの映画は相変わらず面白いものではない。でも映画のあちこちから感じられる創意は、それなりに新鮮で刺激的なものだったりするのだ。

 物語の主人公はカミーラという若い女性だ。貧しい家に育った彼女は、資産家の息子で幼馴染でもあるアントニオに嫁ぐ。だがこれは愛のない結婚だった。彼女が本当に愛しているのは家政婦の息子ジョゼで、彼もまた幼馴染でアントニオとも旧知の仲。これにアントニオの愛人であるヴァネッサという女がからむ。彼女はいかがわしい酒場の経営者で、カミーラがアントニオと結婚した後も堂々と家にまで上がりこみ、カミーラの夫であるアントニオとの関係を断つつもりはないらしい。カミーラはそんな夫の不倫を黙認する。こうしてカミーラを中心に、男女2名ずつの物語が進行していく。

 映画の中にドラマチックなことは何も起きない。物語としてはいろいろとドラマがあるのだが、事件やそこから生じる葛藤のすべては画面の外に追いやられている。映画に登場するのは事件について語る登場人物たちだけだ。ここでは「事件」がドラマを作らず、「言葉」を使ってドラマを語らせているのだ。こうして大事件を画面の外に置くことで、映画は猛スピードで進行していくことが可能になる。カットが切り替わるだけで、物語は数日、数週間、数ヶ月がたっているのだ。

 主要な登場人部の死も、ヒロインの心境の劇的な変化も、その決定的な瞬間はこの映画から追い出されている。本来はとてつもなくドラマチックな物語であるはずなのに、映画全体が静かで淡々とした雰囲気に仕上がっているのはそうした理由だ。でもこれが僕には、物足りないのだ。『クレーヴの奥方』のラストで、ヒロインの決断を台詞で説明してしまったこの監督は、今回の映画でも似たようなことをしている。これが監督の手法なのだということは十分に理解しながら、そこに欲求不満を僕は感じてしまうのだった。どうか肝心なところを観せてくれ!

(原題:O Principio da Incerteza)

2003年GW公開予定 シャンテシネ
配給:アルシネテラン
(2002年|2時間12分|ポルトガル、フランス)
ホームページ:
http://www.alcine-terran.com/

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DVD:家宝
関連DVD:マノエル・ド・オリヴェイラ
音楽CD:パガニーニ《24のカプリース》

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