エーミールと探偵たち

2003/03/17 KSS試写室
ケストナーの代表作を映画化した児童映画を日本語吹き替えで上映。
吹き替えのレベルが低すぎて映画を評価する以前。by K. Hattori

 20世紀のドイツを代表する児童文学者で作家のエーリヒ・ケストナーの代表作「エーミールと探偵たち」を、舞台を現代のベルリンに移して映画化した作品。監督・脚本はこれが長編第2作目だというフランツィスカ・ブッフ。製作チームはこれまでにも何本かのケストナー作品を映画化してきた、ウッシー・ライヒとペーター・ツェンク。僕は彼らが製作したヨゼフ・フィルスマイヤー監督の『ふたりのロッテ』や、カロリーヌ・リンク監督の『点子ちゃんとアントン』が大好きなので、今回も最初から少なからぬ期待をしていたのだけれど……。
 
 今回の映画は日本語吹き替え版での公開になる。僕は吹き替え版が嫌いじゃない。特にこうした児童映画の場合、親子や子供同士でも楽しめる吹き替え版はぜひ作るべきだと思っている。でもそれは、ある程度の水準以上の吹き替えが行われるという前提での話だ。この映画のようにレベルの低い吹き替えをされるくらいなら、最初から吹き替えなどせずに字幕スーパー版を公開すべきではないのか。配給会社の説明によれば、今回の日本語吹き替えはプロの声優をほとんど使わず、子供役には児童劇団からのオーディションで選んだ子供たちを配役し、その他の配役にもいわゆる声優は1人しか参加していないという。未経験者も大胆に吹き替えにチャレンジさせるというその姿勢は、映画に登場する重要な役に元アイドルの天地真理を配役するということに象徴されている。
 
 映画に演技素人のアイドルタレントを出演させたり、子役に演技体験のない子供を出演させたり、吹き替えやナレーションにいわゆる声優やナレーターではないタレントを起用することはしばしばある。それが時として、きわめて高い効果を生み出すこともあるだろう。例えば『となりのトトロ』における糸井重里のようにだ。でもそれは、新人の周囲をベテランがぎっしり取り囲むことで生まれる効果だと思う。プロの声優のある意味で馴染みきった声の芝居の中に素人を放り込むことで、物語全体が生き生きすることがあるのだ。でも全員が素人では、こうした効果は期待できない。
 
 この映画で天地真理が吹き替えをしているシーンは、正直言ってかなり悲惨な仕上がりだ。台詞は棒読みだし、言葉には一切感情がこもっていないし、長い台詞は途切れ途切れでじつに危なっかしい。飛行機の中で上映される簡易吹き替えの映画でも、もうちょっとマシなのではなかろうか。それに肝心の主人公エーミールの声も、中学生か高校生のように声変わりしていてかわいくない。
 
 吹き替え版の出来不出来というのは、この映画を作ったドイツ人のスタッフにも出演者にもまったく関係のない話。でもこうまで吹き替え版の内容がひどいと、映画に入り込む以前にまず「吹き替えがダメ」という時点で思考がストップしてしまう。僕の隣で映画を観ていた人は、天地真理の台詞でゲラゲラ笑ってたよ……。

(原題:Emil und die Detektive)

2003年4月5日公開予定 ワーナー・マイカル板橋
配給:メディアスーツ
(2001年|1時間30分|ドイツ)
ホームページ:
http://www.mediasuits.co.jp/

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DVD:エーミールと探偵たち
原作:エーミールと探偵たち
関連DVD:ふたりのロッテ
関連DVD:点子ちゃんとアントン

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