トーク・トゥ・ハー

2003/02/04 テアトルタイムズスクエア
男にとって女の愛は常に幻影でしかないのだろうか……。
ペドロ・アルモドバル監督が描く愛の姿。by K. Hattori

 『オール・アバウト・マイ・マザー』で世界中を感動させたスペインの監督、ペドロ・アルモドバル監督の最新作。女闘牛士リディアとジャーナリストのマルコ。バレリーナ志望のアリシアと看護人のベニグノ。この映画に登場する2組のカップルだ。男たちは献身的に女を愛する。だが女がその愛に応えることはない。リディアもアリシアも、事故で昏睡状態になっているからだ。

 この映画で描かれているのは、「愛」のもっともシンプルな姿だ。「愛しているから○○してほしい」「愛に報いる××がほしい」といった打算や駆け引きなど、ここには一切存在しない。男たちは女を愛する。愛しているから愛する。それしか方法がないから愛す。女はそれに応えない。そもそも男の愛を、女は知っているのだろうか? おそらく知ることはあるまい。これは残酷な片思いなのだ。女の手を握り、髪に触れ、口づけする。だがふたりの間にある絶望的なまでの距離は、決して縮まることがない。互いに愛し愛されるという心の交流がない、男からのひたすら一方的な愛。

 映画は冒頭にピナ・バウシュのバレエ「カフェ・ミュラー」を引用している。盲目の女がイスの散らかったフロアで夢遊病者のように踊ると、その前にあるイスを男が大急ぎで片づけていく。ここに見られるのもまた、男から女に向けられた一方的な愛だろう。盲目の女は男の存在など知るよしもない。だがそんな女を傷つけまいと、男は汗だくになってイスを片づけていく。だがそんなふたりの関係も、いつしかどこかで終りを告げるのだ。このバレエは、これ以降の物語すべてを象徴しているように思う。

 ベッドの上で昏睡を続ける女たちは、単なる生けるオブジェではない。女たちは植物状態のまま、男に別れを告げたり、男の愛に応えようとしたりする。それは男たちの主観的な世界の出来事だが、普通の男女関係の中でも似たようなことは起きているのかもしれない。恋愛していようが何していようが、結局人間には他人の本当の心の内などわからない。恋愛の充足感はそのほとんどが、「誰かを愛している私」という事実から生まれるのかもしれない。アリシアへの愛に何の疑いも抱いていないベニグノ。昏睡状態のリディアに突然振られて、ショックを受けるマルコ。恋する男の心理は複雑なのだ。

 前作『オール・アバウト・マイ・マザー』では母子関係が大きなモチーフになっていたが、この映画では母子関係が巧妙に画面の外に押しやられている。女たちが「母性的な愛」で男を受け止めることもない。こうして映画から「母親」を排除することで、映画は純粋な「男の愛」を描こうとしているようにも思う。劇中劇のサイレント映画『縮みゆく恋人』はユーモラスでグロテスクで、ちょっと悲しい愛の物語。これもまた女に対する一方的な愛に殉じる男の物語だ。でもこうした愛は、男にとって一種の理想なのかも。

(原題:HABLE CON ELLA)

2003年GW公開予定 テアトルタイムズスクエア、銀座テアトルシネマ
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマグループ 宣伝:ギャガGシネマ、maison
(2002年|1時間53分|スペイン)
ホームページ:
http://www.gaga.ne.jp/

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監督DVD:ペドロ・アルモドバル監督
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