ミレニアム・マンボ

2003/01/14 メディアボックス試写室
ホウ・シャオシェン監督がスー・チー主演で撮った青春映画。
撮影はカラフルな原色だが、物語はどんよりと灰色。by K. Hattori

 『フラワーズ・オブ・シャンハイ』以来5年ぶりの日本登場となる、ホウ・シャオシェン監督の最新作。映画自体は2年前に完成していて、カンヌ映画祭で高等技術院賞を受賞している。主演は人気者のスー・チー。台北の盛り場にたむろする若者たちの姿を描いた青春映画だ。タイトルの「ミレニアム」というのは、映画が製作公開された西暦2001年のこと。いささか旧聞に属する「ミレニアム」という言葉だが、この映画の中では現在進行形だった21世紀最初の年を10年前の出来事として回想する形式を採っているため、映画製作から公開までの時間ギャップが少し埋め合わせられているような気もする。

 映画はヒロインのナレーションで語られる。ヒロインのビッキーは、高校時代から付き合っているハオと台北のアパートで同棲していた。映画に描かれるのは西暦2001年の台北だが、物語の語り手であるビッキーは10年後から10年前の自分を回想している。ヒロインが自分自身について語るというスタイルでありながら、語る人と語られる対象の間に10年の差があるのだ。映画の中で「私=ビッキー」は、しばしば「彼女=ビッキー」という三人称で語られる。この距離感。現在の台北で起きている事件は、すべて10年前に終ってしまったことなのだ。そこで感じた痛みも、苦しみも、葛藤も、すべて10年たってしまえば懐かしい思い出話に変わってしまう。原色に彩られた台北のイルミネーションが、既にノスタルジーの対象になっている。

 こうした距離感は、若者たちと直接接しながら現場を取材したホウ・シャオシェン監督自身が、現実の若者たちと自分との距離感を表現するため編み出した技法のようにも思える。監督は若者風俗を丁寧に取材し、その行動に大きな共感を覚えながらも、最後の最後にはどうしようもない距離感を感じているのに違いない。こうした世代ギャップは、映画の中でもヤクザの兄貴分ガオと若者たちの関係として描写されている。ガオ兄貴はヒロインのビッキーを可愛がりながら、関係を無理に縮めようとはしない。彼女が自分の所に飛び込んでくれば保護するが、彼女のために自分から何か行動を起こすことはない。しかも最後に彼は、ヒロインの前からひっそりと姿を消してしまうのだ。

 ビッキーが暴力的で嫉妬深い恋人ハオからいかに逃れるかというのが映画前半のモチーフとなっているが、映画後半でビッキーはいともあっさり彼から離れてしまい、ビッキーとガオの関係がクローズアップされてくる。年配の男性と若い女性の微妙な距離感は、結局最後の最後まで縮まらない。台北の若者風俗を描いた原色の映画は、雪で埋まったモノトーンの夕張の夜で幕を閉じる。

 なんとも倦怠感に満ちた青春映画だ。これがリアルな現実だということもあるだろう。しかしそれ以上に、監督が自分自身に感じている倦怠感が、映画に反映しているのではないか。

(原題:千禧曼波 Millennium Mambo)

2003年春休み公開予定 シブヤ・シネマ・ソサエティ
配給:ビターズ・エンド 宣伝協力:スキップ
(2001年|1時間45分|台湾、フランス)
ホームページ:
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DVD:ミレニアム・マンボ
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