うまくいってる?

2002/11/28 映画美学校第1試写室
ゴダールとミエビルが1975年に監督した映画。こりゃ難しい。
この難しさに分け入っていく気力が僕にはない。by K. Hattori

 ゴダールの映画は苦手だ。僕には正直言ってよくわからない。でも「恐いもの見たさ」でつい試写に足を運んでしまうのだから、やっぱりゴダールの映画はそれなりに面白いのかもしれない。前日観た『ヒア&ゼア・こことよそ』も、それなりに楽しめたし……。でもこの映画はダメでした。何がなんだか、さっぱりよくわからない。映画が作られたのと同時代なら、この映画に込められた政治的メッセージなどもおぼろげに伝わる部分があったのかもしれないけれど、映画製作から四半世紀もたってしまうと映画の持つ政治性は薄れ、映画の構成やテクニックしか観るべきものがない。その時、この映画の仕掛けはスタートから15分で十分にわかってしまうものなのだ。

 物語は主として3つのパートから成り立っている。ひとりの男が息子に宛てた手紙の朗読。労組で働く中年の男の物語。ひとりの青年が女性と同居生活を始めるエピソード。しかしこの映画の中では、これら3つの要素がどのような関係にあるのか明示されない。一応は中年男が手紙の主で、女性と同棲を始める青年がその息子なのだろうと察しは付くが、それが実際にどうなのかは説明されない。映画の中には一見すると説明調の描写が何ヶ所かある。だがそれらのシーンは反復されているうちに説明と画像の間にズレが生じ、はたしてナレーションが今その時に画面に映されている事柄の説明なのか、それともまったく無関係なものがわざわざ紛らわしく画面と組み合わされているのか、まったくわからなくなってしまう。観客は映画を観ながらその内容を推理していくことを強いられるのだが、少し映画に近づいたと思うと、映画はスルスルと観客の手を放れて逃げ出してしまうのだ。

 わかりやすい説明をはなから拒絶した映画で、映画の中には「俳優と観客の間にある映画」というテロップも入る。作り手がすべてをお膳立てして観客に提供するのではなく、観客自身を映画の中に引っ張り込むため、あえてわかりにくくなっているのだろう。映画を理解するためには、観客が積極的に映画の中に飛び込み、手がかりを求め、情報をつなぎ合わせ、観客自身の中で映画を再構築しなければならない。これはゴダールから観客に向けた、一種の挑戦状なのだ。普通の商用映画を観るように、劇場のイスに漫然と座ってただ受け身の状態でいるだけでは、この映画はチンプンカンプンなままだ。だがさしてゴダールに心酔しているわけでもない僕は、こうしたゴダールの挑発に応じる気などさらさらないわけで、映画はいつまでたってもチンプンカンプン。

 映像とナレーションを二重構造にし、そのふたつがまったく無関係に進行していくという構成は面白いのだが、それが1時間18分も続くのは長すぎる。でもこれぐらいの時間をかけるからこそ、勘違いの余地なくナレーションと絵のズレを認識できるのかもしれない。なんにせよ、大変な映画でした。

(原題:Comment ca va?)

2003年3月上旬公開予定 シネセゾン渋谷(レイト)
配給:ハピネット・ピクチャーズ、アニープラネット
宣伝:アニー・プラネット
(1975年|1時間18分|フランス)
ホームページ:http://www.happinet-p.co.jp/

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