鏡の女たち

2002/11/21 メディアボックス試写室
24年前に失踪した娘が見つかった時、彼女は記憶喪失になっていた。
吉田喜重が岡田茉莉子主演で描く母娘三代のドラマ。by K. Hattori

 東京郊外のベッドタウン。生まれたばかりの赤ん坊を預けたまま、24年前に姿を消した娘を探していた川瀬愛は、市役所の戸籍係からそれらしき人物が見つかったとの連絡を受ける。公園で小さな女の子を誘拐した女が、愛の娘・美和名義の母子手帳を持っていたというのだ。だが女の名前は、自称・尾上正子。彼女は記憶喪失で、自分の過去について何も覚えていないという。母子手帳もなぜ自分が持っているのかわからない。24年ぶりに娘らしき女性と会った愛も、正子が娘の美和本人だと確信が持てないのだった……。

 吉田喜重監督が、夫人でもある岡田茉莉子を主演に撮った母娘三代に渡るドラマ。主人公の川瀬愛を岡田茉莉子が演じ、記憶喪失の尾上正子(川瀬美和?)を田中好子、美和が愛の手元に置いていった孫娘・夏来を一色紗英が演じている。物語は単純なメロドラマのようにも見えるのだが、映画のタッチはかなり硬質。母と娘、祖母と孫娘、夫と妻、男と女など、情緒的に語ればいくらでも情緒に流れることができるモチーフでありながら、その語り口は鋭角で感情が削ぎ落とされたように無機質。人物の出し入れや動きも、それを「動作」として見せるのではなく、人物の入場と退場という「記号」として描かれているように見える。まるで抽象絵画だ。音楽に原田敬子の現代音楽を使っていることもあり、映画全体がピンと張りつめた緊張感に包まれている。

 主役3人も含め、登場人物は必要最低限に抑えられている。例えばこの3人の女たちを広島や原爆と結びつける役目を果たすテレビ局の女性プロデューサーも、名刺を出すわけでなし、カメラマンやスタッフを連れているわけでなし。尾上正子の愛人男性も、最低限の台詞で妻子の存在が語られているけれど、それが具体的に画面に登場するわけではない。ひたすらシンプルに、必要最低限の素材で作られている。ル・コルビジェの建築のような簡潔さ。

 このシンプルな映画の中では、少ない登場シーンでその人物を的確に表現できる役者が求められる。例えばこの作品が遺作になった室田日出男。正子の愛人を演じた西岡徳馬。テレビ局のプロデューサー役の山本未来。夏来の元恋人を演じる北村有起哉。ワンシーンだけの登場で強い印象を残す、三条美紀と犬塚弘。これらの人物の登場シーンが、物語の要所にくさびのように打ち込まれ、映画全体をいくつかのパートに分割していく。

 映画の大きなテーマになっているのが広島の原爆だ。被爆という体験を抱え、世間からの差別にさらされながらも、必死に生き抜いた男と女。ただし僕はこの原爆というテーマが、この映画の他の要素とどのように結びついているのかよくわからなかった。子供を捨てようとした記憶。捨てられない母子手帳。男に頼って生きる女の弱さ。母と娘の二重像はわかる。でもそれと原爆が重ならないように思うのだけれど……。

2003年陽春公開予定 東京都写真美術館
配給:グルーヴ・コーポレーション 宣伝・問い合せ:ライスタウンカンパニー
(2002年|2時間9分|日本)
ホームページ:http://www.groove.jp/movies/mirror/

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