チェ・ゲバラ
−人々のために−

2002/11/07 TCC試写室
キューバ革命の英雄アーネスト・チェ・ゲバラについてのドキュメンタリー。
結局ゲバラがなぜ偉大なのか、その理由がわからない。by K. Hattori

 キューバ革命の英雄として知られるアルゼンチン出身の革命家アーネスト・チェ・ゲバラの生涯を、アルゼンチンの映画監督が追いかけたドキュメンタリー映画。アルゼンチンに生まれ、キューバで戦い、コンゴに渡り、39歳の若さでボリビアに散ったカリスマ的英雄は、今もなお人々の記憶の中に生き続けている。この映画はゲバラの生前親交のあった人々や、ゲバラの戦いに同行した人々の証言を通して、神格化される前の、生身の人間としてのゲバラ像を浮き彫りにしていく。インタビュー映像と共に、生前のゲバラの姿が記録映像でふんだんに引用されているのは貴重かもしれない。

 監督・脚本・製作のマルセル・シャプセスはアルゼンチン人であり、チェ・ゲバラは祖国が生んだ世界的英雄だ。ゲバラについての伝説や神話は、この映画の製作者たちにとって説明不要の前提条件なのだろう。そのせいかこの映画は、チェ・ゲバラが革命運動の中で何を行なったかというもっとも肝心なところをすっ飛ばしてしまう。革命のもう一方の指導者だったフィデル・カストロとの関係も、まったく描かれていない。カストロ本人にインタビューが取れれば一番よかったけれど、それが無理でもせめて近辺の人物にインタビューができなかったのだろうか。

 この映画は革命家ゲバラよりも、革命後のキューバで銀行総裁や工業相として働くゲバラの姿や、祖国アルゼンチンへの屈折した思い、コンゴやボリビアでの革命運動の挫折などを描いている。確かにこうした事柄もチェ・ゲバラの真実だとは思うのだが、歴史の中で活動したチェ・ゲバラという人間にとっては周辺的な事柄のようにも思える。それともゲバラをゲリラ戦の指導者と考える僕の方が、ちょっとずれているのだろうか。

 結局この映画は、ゲバラについてはある程度以上の知識を持ち、彼の活動や死についても知っている人に対して、「もうひとつのゲバラ像」を提供するために作られた映画なのだろう。観客の側が映画を観る以前に持っているゲバラ像を修正し、そこに人間的な欠点や革命運動家としての限界を付け加えていくことで、英雄ゲバラを人間ゲバラにすることが、この映画の目論見に思える。だが残念なことに、僕には「英雄ゲバラ」という前提が欠けている。この映画の機能が、はたして現代日本でどれほど発揮できるのかは大いに疑問だと思う。

 ゲバラは自分の戦いが世のため人のためと信じて、文字通り命をかけて働いた。しかし信念のために命がけで戦っているのは、イスラム過激派のテロリストだって同じじゃないか。少なくとも「思想のために戦う」「信じるもののために命を投げ出す」だけなら、両者にまったく差はない。ならばゲバラのゲリラ戦を正当化するのは何なのか。それはキューバ革命が果たした意義を肯定的に評価する以外にはあり得ない。この映画はその肝心なキューバ革命を描き損ねていると思う。

(原題:Che, un hombre de este mundo)

2002年12月公開予定 BOX東中野
配給:(株)パイオニア映画シネマデスク 宣伝:シネマ・クロッキオ
(1999年|1時間28分|アルゼンチン)
ホームページ:http://www.mmjp.or.jp/BOX/

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DVD:チェ・ゲバラ−人々のために−
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