明日があるさ
THE MOVIE

2002/10/20 新宿文化4
人気CMから生まれたテレビドラマの劇場映画版はひどい手抜き。
主人公が無責任なロクデナシにしか見えない……。by K. Hattori

 中堅の総合商社トアール・コーポレーションを舞台にした、吉本興業所属タレント総出演のサラリーマン映画。缶コーヒー「ジョージア」のCMが大評判となってテレビドラマ版が作られ、それがそこそこウケたことから作られた映画版だと思うのだが、この企画事態がいささか旬を過ぎたものと思わざるを得ない。テーマ曲ともなっている「明日があるさ」が、坂本九の歌う青春ポップスからサラリーマンの応援歌に装いを変えて大ヒットしたのはせいぜい去年まで。CMは今でも放送されているが、もはや昨年までの勢いは感じられない。映画の方も曲のブームが終らぬ間にと大慌てで作ったことがミエミエで、脚本も演出も粗雑な手抜き工事ぶりが目立っている。

 「明日があるさ」にはこの映画に先行するテレビドラマ版があり、僕はそちらはまったく見ていない。ひょっとするとドラマ版の視聴者にとっては、この映画程度の内容であっても「まさに期待通り!」というモノなのかもしれない。だがそれにしても、僕はまったく合点がいかないのだ。この映画の主人公・浜田課長は、サラリーマンとしても家庭人としても最低の男に見える。少年時代に「宇宙飛行士になりたい」と夢見た浜田課長は、偶然知り合った天才ロケット工学博士の有人宇宙ロケット計画を仕事も家庭もそっちのけで手伝い、ついにはロケットに乗り込んで宇宙へと飛び立っていく。ここで描かれるのは、「食うための仕事より、夢のために働く方が尊い」「妻や子供のために働くことより、夢のために働く男の方が素敵だ」というメッセージだ。

 こうしたメッセージは人気テレビ番組「プロジェクトX」などの中にもしばしば見られるものだから、それ自体を無責任だとか古くさいと非難するつもりはない。しかしこの映画の場合、天才科学者と称するオッサンがただの変人にしか見えず、彼の有人ロケット計画も荒唐無稽な絵空事にしか見えない。浜田課長はなぜ博士を「天才だ!」と確信できたのか? なぜ博士のロケット計画を「博士が飛ぶ言うたら飛ぶんじゃい!」と強固に擁護できるのか? それは結局のところ、日常の中で夢を見失い、仕事にも家庭生活にも倦怠を感じている浜田課長が、現実から逃避したいという気持ちから生み出した幻想に過ぎないのではないか? ロケットの専門家ではない浜田課長は、自らの夢を仮託できる対象として、たまたま博士のロケット計画に乗ったに過ぎない。単に向こう見ずなバカなのです。仕事と家庭から逃げ出したい、無責任な男なのです。

 ロケットの部品はどれも1点ずつ手作りの特注品のはずであり、部品ひとつで数百万円、ロケット全体でどう少なく見積もっても何十億円もかかるものだ。それが古ぼけた町工場で作れるか? お台場に簡易発射台を作って、そこからとばせるものなのか? 飛ぶはずのないロケットを、お話の都合上どうにか飛ばして辻褄を合わせるような態度は疑問だ。

2002年10月5日公開 日劇2他・全国東宝系
配給:東宝
(2002年|1時間58分|日本)
ホームページ:http://www.ashitagaarusa.net/

Amazon.co.jp アソシエイト

DVD:明日があるさ THE MOVIE
サントラCD:明日があるさ THE MOVIE
関連CD:明日があるさ THE MOVIE ― マイエナジーセレクトトラック
主題歌CD:明日があるさ(Re:Japan)
小説版:明日があるさ THE NOVEL
公式ガイド:明日があるさTHE BOOK
メイキング本:明日があるさ―それぞれにとっての明日があるさ
関連DVD:明日があるさ

ホームページ

ホームページへ