青の稲妻

2002/10/16 映画美学校第2試写室
ボンクラ少年ふたりを主人公にした中国版『Kids Return』。
どうしようもなく間延びしたテンポは観てて辛い。by K. Hattori

 タイトルがカッコイイ! なにしろ『青の稲妻』なのだ。プレス資料の謳い文句によれば、《ベルリン、ヴェネチア、そしてカンヌ−− 31歳の若さにして世界の三大映画祭を制した、ジャ・ジャンクー。21世紀の映画界を担う、その恐るべき才能に、マーティン・スコセッシは驚嘆し、チャン・ツィイー、ジュリエット・ビノシュらは出演を熱望。世界が渇望した中国ヌーヴェルヴァーグの真髄『青の稲妻』、ついに公開!!》というのだから、なにやらものすごく勇ましいのだ。しかしこの監督、この映画の前に何を撮っていたかというと、中国の田舎町でダサイ男がラジカセから流れる「ジンギスカン」に合わせてタコ踊りをするという『プラットホーム』なのである。その監督が、はたしてこのタイトルに負けないぐらいカッコイイ映画を撮れるのかというと、それはやはりちょっと無理がありすぎるんじゃないかなぁ……。

 この映画を一言で言い表せば、『Kids Return』の中国版ということになる。じつはこの映画、製作と配給にオフィス北野がからんでいる。製作総指揮の中に、北野映画のプロデューサーである森昌行の名前が見える。なんとなくそのあたりで、こういう映画が出来ちゃったのかな、という気もしてくる。主人公は19歳の少年ふたり組。定職に就くわけでもなく、だらだらと日々を送っているふたりの姿は、それだけで『Kids Return』の主人公たちを連想させる。自転車のふたり乗りは出てこないが、バイクのふたり乗りは出てくる。やくざも出てくる。やくざは突然死んでしまったりもする……。

 映画は少年たちが味わう出口なき倦怠を描くのだが、その倦怠感を表現するのに長い長いワンショットを多用する。しかしこれが、映画を観ている観客にまで倦怠を感じさせてしまうのはいかがなものか。登場人物の倦怠を描くことと、観客を倦怠させることとはまったく別次元ではないだろうか。映画を観ながら「なぜこのカットがこれほど長いのか!」「もっとテンポを上げてくれ!」「どうでもいいから早いとこ次のシーンに移れよ!」と思うことが多々あった。映画は観客を登場人物に感情移入させるものだ。だから登場人物が喜べば観客も喜び、登場人物が悲しめば観客も悲しむ。でもこの映画の場合、主人公たちの倦怠以上に、観客である僕が倦怠を覚えてしまった。僕は主人公の倦怠に共感・共鳴したわけではなく、倦怠している主人公の姿そのものに倦怠してしまったのだ。

 例えばこんなシーンがある。主人公がバイクで坂道を上ろうとして、エンジンがすぐに切れてしまう。再びエンジンをかけてのぼろうとすると、またエンストする。これを何度も何度も繰り返し、その結果として坂を上りきったところに、じつは何もない。このシーンには主人公の日常のすべてが象徴されているようにも思うのだが、やはり観ていてどうしようもなく退屈なのだ。

(原題:任逍遥 Unknown Pleasures)

2003年新春公開予定 ユーロスペース、シネ・リーブル梅田
配給:ビターズ・エンド、オフィス北野
(2002年|1時間52分|中国、日本、韓国、フランス)
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DVD:青の稲妻
関連DVD:ジャ・ジャンクー監督

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