旅の途中で
FARDA

2002/09/18 松竹試写室
宍戸開主演の日本・イラン合作映画。監督は中山節夫。
脚本の中に肝心のドラマが感じられない。by K. Hattori

 真面目で良心的でわかりやすいということは決して他人から非難されるようなことではないが、芸術作品の場合は「真面目で良心的でわかりやすい作品」が必ずしも優れているとは言えない場合がある。この映画はまさにそうした類の作品だと思うのだ。悪い映画ではない。テーマは真面目で、物語も語り口もまっすぐの直球勝負。こうした手法に僕は好感を持つ。文部科学省選定、東京都知事推奨、など固めの推薦も「なるほどね」とまず納得できる。監督は『兎の目』『ブリキの勲章』の中山節夫。主演は宍戸開。日本での生活に疲れた青年が、元恋人の頼みを受けてイランに渡り、そこでさまざまな人々との交流を持つという、日本・イランの合作映画だ。イランの風俗描写がおかしくならないように、アッバス・キアロスタミ監督が監修を受け持っている。

 この映画で気にくわないのは、ここにドラマがないということだ。全体の図式もわかる。個々のエピソードが言いたいこともわかる。でも映画全体としての、大きなドラマが感じられない。自動車部品メーカーの営業職だった主人公が、倒産した下請け部品工場の社長が亡くなった時、元恋人だった一人娘からひとつの依頼を受ける。以前工場で働いていたイラン人の青年に、未払いになっていた賃金を手渡してほしいというのだ。最初はこの依頼を断った主人公は、映画の省略法というマジックによって、次の瞬間にはイランの空港に降り立っている。東京での生活に行き詰まりを感じていたとはいえ、なぜ主人公がイラン行きを決意するに至ったのか? その葛藤を描くのがつまりはドラマだと思うのだが、この映画ではこれら重要な葛藤が次々に省略法の彼方に消えていく。

 主人公はなぜ元恋人と別れてしまったのか? 主人公はなぜ元恋人の依頼を受けたのか? 主人公は会社にどう言ってイランにやって来たのか? 主人公は元工員に、約束の金を渡すことができたのか? 主人公とヒロインの関係は、いったいどうなるのか? これら物語の重要なポイントを、この映画は「そこは観客のみなさんのご想像にお任せします」とばかりに次々と迂回していく。これでは主人公が何を考えてイランに来て、イランで何を見つけ、主人公がそれによってどう変わっていったのかが、さっぱりわからない。こうして中心となる大きなドラマがないまま周辺のエピソードばかり積み上げていくから、この映画は全体として大きな立体感を得られない平板な作品になってしまった。

 映画を観る人に、すべての回答をそのまま手渡してしまう必要はない。しかし回答を得るために必要な手がかりぐらいは一通り用意しておくのが、こうした映画に求められる最低限のルールではないだろうか。主人公がこの旅で何を見つけ、出発前に比べてどう変わったのか。最低限そのふたつが映画から伝わってくれば、あとはどうでもよかったのだけれど……。

2002年10月12日公開 シネ・リーブル池袋・他
配給・宣伝:日活 宣伝協力:スキップ
(2002年|1時間46分|日本、イラン)

ホームページ:http://www.nikkatsu.com/movie/farda/

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