パッション

2002/05/09 映画美学校第1試写室
映画に物語がなくてもいいじゃないか!というゴダールの開き直り?
イザベル・ユペールが初々しい今から20年前の映画。by K. Hattori

 ゴダールが'82年に監督した長編映画。理想の映画を作ろうと悪戦苦闘する映画監督と、その周囲の人たちの間で生まれる軋轢を描いたシンプルな話のはずが、映画はゴダール流の引用で埋め尽くされて、なんだか非常に複雑で難解な映画のようになってしまった。この映画の中で主人公の映画監督ジェルジーが作ろうとしているのは、古今の名作絵画を人間によって再現する「活人画」だ。劇中ではレンブラント、ゴヤ、アングル、ドラクロワ、エル・グレコ、ワトーなどの絵画が人間によって再現されているが、主人公ジェルジーはいつも「照明が違う!」「立ち位置が違う!」と少しも満足できず、映画の撮影は遅々として進んでいかない。やがて製作費は底をつき、プロデューサーたちは追加資金を集めようとするのだが、「映画に物語がない」という理由で資金はなかなか集まらない。その間に、監督は近所の工場の女工イザベルや、工場長夫人ハンナとの情事にふけり、映画製作は空中分解しかけたまま時間だけが過ぎていく。よくわかんないけど、話としてはそんな感じ。

 映画を読み解くキーワードは幾つかあると思う。主人公の作ろうとしている映画が、「活人画」という静止画であり、動く絵である映画とはそもそも正反対の指向を持つ表現であること。主人公の映画監督が映画を製作できなくなる理由(追加予算が得られない理由)が、「物語がわからない」からだという点。おそらく「物語がわからない」「物語がない」という批判は、ゴダールの映画に対して常にぶつけられている常套句なのだろう。ゴダールはこの映画を通して、それに対して反論しようとしているのではなかろうか。芸術作品にそもそも「物語」は必要なのか? 古典絵画を見よ。そこで描かれているのは大きな物語の「引用」であって、物語そのものが描かれているわけではない。古典芸術の理解者は、引用された物語の1場面から、その向こう側にある大きな世界を理解し、翻って描かれた1場面を解釈する。映画だってそれと同じではないのか? 引用好きのゴダールは、そんなことが言いたかったのかもしれない。ただしゴダールがそうストレートに言うわけはないので、これは映画を観た僕の解釈でしかないのだけれど……。

 物語の中ではイザベルという労働者階級の女性と、ハンナというブルジョア階級の女性(といっても小さな工場の社長夫人に過ぎないのだが)が登場し、両者の間で監督が揺れ動くという筋立てになっている。主人公はふたりの女性のどちらも選べず、悩んだあげくに映画撮影のすべてを放り出して故郷のポーランドに戻っていってしまう。ここに込められたゴダールのメッセージを、僕は読みとることがまったくできない。だからどうした?

 映画の見どころは、大勢の人間によって再現された活人画の数々ということになろう。かつてこの映画が公開されたときは、映倫審査で無数の修正を施されてしまったというが、今回は無修正版での上映。『ゴダールのマリア』はR-15でこっちは一般映画。なぜだ?

(原題:PASSION)

2002年7月公開予定 シネ・アミューズ(レイト)
配給:ザジフィルムズ

(上映時間:1時間28分)

ホームページ:http://www.zaziefilms.com/

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