少年の誘惑

2002/04/04 ムービーテレビジョン試写室
大人達のいなくなった文革期の北京の街を少年たちが闊歩する。
小さな映画だが遊びの描写に引き込まれる。by K. Hattori

 1973年の夏。文化大革命の下放政策で街の中から大人が消えた北京には、親や教師の監督から離れて自由に遊び回る子供たちの姿があった。この時代の北京を描いた映画にはチャン・ウェン監督のデビュー作『太陽の少年』があるが、この『少年の誘惑』は同じ時代と場所をもうすこし幼い少年の視点から描いている。『太陽の少年』の主人公が10代半ばの思春期真っ盛りだとすれば、『少年の誘惑』の主人公は10才そこそこの「男の子」たちだ。男の子同士の友情がある。屈託のない遊びがある。年上の少女への憧れと性の芽生えがある。それらが入り交じったまま、10才の夏は過ぎていく。映画の中で主人公の年齢は特定されてないように思うが、この作品に楊听(ヤン・シン)監督の個人的な体験が投影されていることは間違いないと思う。楊監督は1963年生まれだから、'73年には10歳だったはずだ。

 夏休みが始まって、子供たちが街に飛び出していく。両親共に地方に下放されているダーシャオは、同じように両親が下放されている同級生シャーダンと親友同士。ふたりは毎日のように互いの家を行き来し、近所を遊び回っている。ダーシャオは最近、シャーダンの姉ウェンウェンが気になっている。昼寝をするウェンウェンの寝顔をのぞき込んだり、むき出しになった足を舐めるように眺めたりする。薄着の襟元から覗く胸元に目が吸い寄せられ、彼女の着替えや行水を盗み見たりもする。年上の女性への強い憧れ。だがそれは恋と呼ぶには淡く、欲望と呼ぶには幼い気持ちの動きだ。ダーシャオの中で、何かが目覚めはじめようとしている。ダーシャオの体の中で、子供を大人へと変化させる力が動き始めている。だがそれはこの映画の中で「予兆」のままに留まり続け、外部に向かって噴出していくことはない。

 映画はこうしたダーシャオの変化を中心にしつつ、彼とシャーダンの子供らしい遊びを丁寧に描写していく。川での水泳やと水の中で放尿する快感。空き地でのビー玉遊び。馬跳び。メンコ。パチンコ。ゴム鉄砲。泥をこねて作る万里の長城。オシッコの飛ばしっこ。秘密基地。女の子たちのゴム飛びや石蹴り。映画を観ながら「へ〜、こんな遊びが中国にもあるんだ」と思う日本人は多いと思う。僕はダーシャオやシャーダンの遊びっぷりを観ていて、国は違えどやることは違わないことに驚いていた。シャーダンが姉の化粧品を使って化粧の真似事をしたりするシーンも、ダーシャオとシャーダンがオチンチンの大きさの比べっこをする場面も、思わずニヤニヤ笑ってしまう。形は違えども、僕にも心当たりがあるからだ。

 ダーシャオを演じた李元直(リー・ユアンジー)が、まったく可愛くないのがよい。ウェンウェンの寝姿を見つめるときの、「邪眼邪視」とでも言いたくなるような目つきのいやらしさ。無垢な子供の内部から、フツフツと、ドクドクと、ドロドロと、何かどす黒いものが沸き出してくる様子にドキリとする。物語性に乏しい小さな映画だが、狙いが明確でわかりやすい作品だった。

(原題:吸引)

2002年6月1日公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:ムービーテレビジョン 配給協力:ビターズ・エンド

(上映時間:1時間12分)

ホームページ:http://www.movietv.co.jp

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