アイ・アム・サム

2002/03/19 丸の内プラゼール(完成披露試写)
知的障害を持つ父親をショーン・ペンが演じるヒューマンドラマ。
共演はミシェル・ファイファー。音楽はビートルズ。by K. Hattori

 知的障害を持つサムは、幼いひとり娘ルーシーとふたり暮らしだ。ルーシーの母親は出産直後に、サムと娘を捨ててどこかに姿を消した。サムはその時から7年間、男手ひとつで娘を育ててきたのだ。だがルーシーが学校に入学した頃から、父娘関係がギクシャクしてくる。学校の友達にからかわれて、ルーシーが父の障害を恥ずかしいと思うこともある。娘の宿題を、サムが見てやれないという引け目もある。7歳の知能しかないサムの能力を、育ち盛りの娘があっという間に追い越そうとしている。だがそれによって、父娘の関係が壊れてしまうのをルーシー本人が恐れている。お父さんにはいつまでもお父さんのままでいてほしい。そのためには、自分がいつまでも赤ちゃんのままでいるべきなのだろうか……。ルーシーの小さな胸は痛むのだ。そんなサムとルーシーの父娘関係に、社会福祉局が目を付けた。福祉局はサムにこれ以上の娘の養育は無理だと判断し、ルーシーを施設に保護することに決める。サムは娘を取り戻すため、一流弁護士リタ・ハリソンの事務所を訪ねる。

 主人公サムを演じるのは、この映画でアカデミー賞にノミネートされているショーン・ペン。娘のルーシーを演じているのは、役と同じ7歳のダコタ・ファニング。弁護士のリタを、ミシェル・ファイファーが演じている。監督・脚本は『コリーナ、コリーナ』のジェシー・ネルソン。「この親に養育能力なし」として福祉局が子供を取り上げてしまう話には名作がたくさんあって、スピルバーグのデビュー作『続・激突/カージャック』もそうだったと記憶するし、ケン・ローチの『レディバード・レディバード』も涙なしには観られない映画だった。こうした映画の中で、福祉局は親子の愛情をさえぎる悪者として描かれることが多い。しかしこうした福祉局職員の熱心な働きで、家庭内暴力から救われたり、性的虐待から逃れたり、不当に奪われている教育の機会を取り戻す子供も多いということを忘れてはならないだろう。

 映画の中の障害者というのはしばしばステレオタイプに描かれることが多いのだが、この映画には障害の程度もタイプも違うさまざまな人たちが登場してくる。主人公の仕事ぶりや周囲の人たちの支援なども含めて、障害者と社会の関わりに関する日本とアメリカの違いを痛感せざるを得ない。日本ではサムのような障害を持つ人が、自分ひとりで部屋を借りることができるだろうか。コーヒー屋やピザ屋で働く障害者なんて、日本じゃ見たことないよ。「障害者=清掃の仕事」という固定化はあるみたいで、それはこの映画にも少し台詞で出てくる。でも日本じゃ「高齢者=清掃の仕事」だもんなぁ……。

 泣かせどころが数ヵ所あって、僕も思わずホロリと来た。中でもミシェル・ファイファーとローラ・ダーンの長台詞が印象に残る。女性の長台詞で泣かせるのは、ネルソン監督が脚本を書いた『ストーリー・オブ・ラブ』との共通点だけど、この台詞を受け止めるのがショーン・ペンだと、より一層泣けるんだよなぁ……。

(原題:I AM SAM)

2002年初夏公開予定 丸の内プラゼール他・全国松竹東急系
配給:松竹、アスミック・エース

(上映時間:2時間13分)

ホームページ:http://www.iamsam.jp/

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