グローウィン グローウィン

2002/03/06 映画美学校第2試写室
現実から逃避するため「集団自殺」の場へと旅をする若者ふたり。
ジュン役の村島リョウがいい味出してます。by K. Hattori

 不実な恋人に一方的に入れ上げたあげく、自分がまったく愛されていないと知って発作的にに相手を殺してしまったキミノブ。バイト先のコンビニで同僚の執拗なイジメに遭いながらも、苦渋に満ちた毎日を何事もなくやり過ごそうとしているジュン。キミノブからメールをもらったジュンは、誘われるまま「本当の自由」を手に入れるため旅に出る。「自分が好んで生まれてきたわけじゃない。だったら死ぬことの中にこそ、本当の自由がある」と主張する団体“glowing growing”のホームページが企画した集団自殺の場に向けて、幼馴染みふたり組が自転車のペダルをこぐ旅が始まった。

 製作・原案・脚本・監督・編集の1人5役を務めたのは、「百獣戦隊ガオレンジャー」のガオイエロー役として知られる堀江慶。まだ22歳という若さの彼が、若さゆえの情熱と確信を持って作り上げた作品だ。この映画に魅力があるとすれば、それはこの監督の「若さから生まれる情熱と確信」であろうし、この映画に欠点があるとすれば、やはり同じ「情熱と確信」によるものだと思う。主演は戸田昌宏と村島リョウ。

 「大人になりきれない若者」を主人公にした映画はたくさん作られているし、この映画もそれと似たようなシチュエーションの映画に分類されると思う。しかしこの映画の主人公たちは、正確には「大人になりきれない」わけではない。彼らはそもそも、大人になる気など最初からないのだ。「大人になろう」としてなれないのが「大人になりきれない若者」なのだから、最初から大人になる気がないキミノブとジュンはそのカテゴリーから漏れてしまう。もっとも恋人と結婚したいと願ったキミノブは、結婚という制度的な通過儀礼を経てオトナになりたかったのかもしれない。しかしそれは何ら具体性のない、茫漠とした夢物語でしかなかった。彼の相棒として一緒に旅をすることになるジュンは、映画の中では明確に述べられていないが、どうやら軽い知的障害があるらしい。ジュンは生まれながらにして、永遠に子供であることを宿命づけられた存在なのだ。キミノブが最後の旅の相棒としてジュンを選んだのは、彼が決して大人にならない存在だからだろう。だが旅の途中でキミノブは大人にならざるを得なくなり、ひとり残されたジュンはたったひとりで旅を続けるしかなくなるのだ。

 僕は青春映画を「何者でもなかった若者が、何者かになろうとしてもがくドラマ」と規定しているので、大人になる気がない若者が仮に「死」を選ぶドラマであったとしても、「何者でもない生」から「何かしら意味を持った死」への移動に説得力さえあれば、それはひとつの青春ドラマになり得ると考える。しかしこの映画では、そのあたりが今ひとつ希薄。「つまらない人生」から「無」への現実逃避は、映画の主題になり得ない。そもそも映画の中の物語自体が観客や監督にとっての現実逃避なのに、その中で主人公たちが現実逃避したら、観客は置き去りにされてしまうではないか。

2002年3月30日公開予定 中野武蔵野ホール
配給:アースライズ

(上映時間:1時間32分)

ホームページ:http://go.to/glowinggrowing

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