ヒューマンネイチュア

2002/01/17 映画美学校第1試写室
『マルコヴィッチの穴』のチャーリー・カウフマンが書いた新作。
パトリシア・アークエットの全身ヘアヌードが拝める。by K. Hattori

 物語の発端は1件の殺人事件だった。犯人として逮捕されたのは、ネイチャリストの女流作家として知られるライラ。警察に身柄を拘束された彼女は、自分自身の生い立ちと犯罪に至る理由を語り始める。同じ頃、議会の公聴会に出席したヒゲ面の男パフも、自分自身の生い立ちと数奇な運命について語り始める。そしてさらにもうひとり、殺された男も自分の人生について語り始めていた。映画は三者三様の告白を寄り合わせながら、なんとも不思議な三角関係の悲劇を描いていく。

 製作・脚本は『マルコヴィッチの穴』のチャーリー・カウフマン。『マルコヴィッチ〜』で監督を務めたスパイク・ジョーンズが、今回は製作で映画に参加している。監督はミュージック・ビデオやCFの監督として数々の賞を受賞している、ミシェル・ゴンドリーというフランス人。主演はパトリシア・アークエット、ティム・ロビンス、リス・エヴァンス。なんだかこの顔ぶれだけで、一癖も二癖もありそうな映画だということがわかる。

 これはチャーリー・カウフマン脚本のクセなのかもしれないが、映画の前半が有無を言わせない面白さなのに対して、後半はちょっとどうなんでしょう……という内容。前半では突拍子もない設定やとんでもないキャラクターが次々に登場して楽しませてくれるのだが、後半ではそうした大馬鹿な設定を使って、人間の持つ本質的な悲劇性を描いていこうとしている。映画の前半は喜劇だが、後半は悲劇の匂いがするのだ。どうせなら喜劇のまま突っ走ればいいのに、カウフマン脚本はそうならない。だからといって前半と後半が木に竹を接いだようなチグハグさかというと、そういうわけでもない。前半の喜劇性は、その本質を保ったまま実に素直に後半の悲劇へと導かれていく。そもそも喜劇と悲劇の本質は同じ。両者の違いは紙一重、表裏一体の関係なのだ。カウフマンの脚本は喜劇と悲劇の長いテープを1度ひねってつなぎ合わせ、大きなメビウスの輪を作る。映画の頭からずっと物語を追いかけていっても、どこで悲劇に転じたのかよくわからない。なんだかうまく騙されたような気がする。

 お話のアイデアは面白いし、思わず笑っちゃうしかない迷場面や珍場面、胸を締め付けられるようなシーンが多々ある。それでも映画の印象が小さくまとまってしまうのは、この映画にほとんど破綻がないからかもしれない。すべてのパーツが綺麗にこぢんまりとまとまってしまうのだ。例えばこの映画は主役3人が別々の場所でそれぞれ別々に同じ事件について証言することで成り立っているのだが、この証言がすべて一致してどこも矛盾しない。これは観客にとってはわかりやすいけれど、これじゃひとつの事件を3つに分けて語っているだけで、わざわざ3つの視点を導入する意味なんてないようにも思う。3人の主人公がそれぞれに自分個人の「思い入れたっぷりな世界」を語ってこそ、3人がそれぞれに人生や事件について語るという構成が生きる。ここを綺麗にまとめてしまうから、映画に勢いがなくなるのかも。

(原題:Human Nature)

2002年春休み公開予定 恵比寿ガーデンシネマ、銀座テアトルシネマ他
配給:アスミック・エース

(上映時間:1時間36分)

ホームページ:http://www.humannature.jp/

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