JAZZ SEEN
カメラが聴いたジャズ

2002/01/11 シネカノン試写室
ジャズ・カメラマンのウィリアム・クラクストンを追うドキュメンタリー。
同じ監督の『BLUE NOTE』よりは見劣りする。by K. Hattori

 1940年代末から'50年代にかけて、カリフォルニアがアメリカ最先端のジャズを生み出していた時期がある。それまで黒人たちの演奏するアドリブ中心の音楽だったジャズを、楽譜の読み書きができる白人の音楽家たちが洗練された編曲で演奏するようになった。クラシックとジャズの両方に精通する演奏家も多く生まれ、映画音楽とジャズとクラシックが活発に交流をするようになる。この頃に生まれたスタイルを、ウェストコースト・ジャズと呼ぶ。この時代にウェストコースト・ジャズのイメージをビジュアル面で決定づけたのが、LPレコードのグラフィカルなジャケットだった。カメラマンのウィリアム・クラクストンは、パシフィックやコンテンポラリーといったレーベルのジャケット用写真を撮影し、デザインもしていた人物だという。この映画はクラクストンの仕事を通して、'50年代のジャズシーンに分け入っていくドキュメンタリー映画だ。

 映画は3つの要素から構成されている。ひとつはクラクストン本人や、友人・知人・ミュージシャンたちのインタビュー。2つ目は'50年代をジャズと共に生きたクラクストンの青春時代を、インタビューにあわせて再現ドラマ風に演じる部分。3つめはクラクストンの仕事ぶりを、その作品や撮影風景を通して描いていく部分だ。監督は『BLUE NOTE/ハート・オブ・モダン・ジャズ』のジュリアン・ベネディクト。ただしこの映画は『BLUE NOTE』ほどには面白くない。クラクストンの生い立ちはわかる。クラクストンの仕事ぶりもわかる。クラクストンの仕事に対する世間の評価もわかる。だがそれらをすべて観ても、この映画からは「なぜクラクストンなのか?」という疑問への答えが返ってこない。なぜクラクストンはジャズに惹かれたのか。なぜクラクストンはミュージシャンたちと打ち解けた友人になることができたのか。そもそもなぜこの映画の製作者たちは、ウィリアム・クラクストンという人物に着目したのか。こうした根本的なところが、この映画はお留守になっているような気がしないでもないのだ。

 映画の中の個々のエピソードの中には、面白いものもたくさんある。とくに面白かったのは、クラクストンがチェット・ベイカーについて語る部分と、ラス・フリーマンが当時の音楽界とヘロインの関係について語る部分だと思う。明るく洗練されており、颯爽としていて快活に見えるウェストコースト・ジャズのサウンドが、その裏側では麻薬に犯されていたという事実。麻薬で身を滅ぼしていくミュージシャンたちの悲劇。しかしこうした要所を除くと、この映画は途端に退屈になってしまうのだ。特につまらないのは再現ドラマ。この中で若き日のウィリアム・クラクストンを演じているのは、本人の若い頃に風貌がよく似たクリストファー・クラクストンという役者。これってウィリアム・クラクストンの息子か何かなんでしょうかね。クラクストン夫人のペギー・モフィットが、今も'60年代を生きているのには驚いた。

(原題:Jazz Seen: The Life and Times of William Claxton )

2002年3月中旬公開予定 シネ・アミューズ(レイト)
配給:ギャガ・コミュニケーションズ 宣伝・問い合せ:ムヴィオラ

(上映時間:1時間20分)

ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/

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