息子の部屋

2001/12/03 ワーナー映画試写室
ナンニ・モレッティ監督のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。
愛する人の死を乗り越えていこうとする家族のドラマ。by K. Hattori

 今年のカンヌ映画祭でパルムドール(最優秀作品賞)を受賞した、ナンニ・モレッティ監督のヒューマンドラマ。精神科医のジョバンニは、妻パオラ、娘イレーネ、息子のアンドレアの4人家族。息子の学校での盗難騒ぎなど、事件や問題がゼロとは言わないまでも、おおむね平和で愛情に満ちた家庭生活を営んでいる。ところがある日曜日、友人と近くの海にダイビングに行った息子が溺死。家族は驚き、泣き叫び、悲しみに暮れる。息子の葬儀が終わった後、待っているのは残された家族の中に広がる自責の念。ジョバンニは息子が死んだ日、患者に呼び出されて自宅を留守にしていた。あの日患者の呼び出しに応えなければ、息子は自分と一緒にいたかもしれない。あの日患者から緊急の呼び出しがなければ、息子は今も生きていたかもしれない。そんなことを考えても何も意味はない。意味はないけれど、ジョバンニの心はそんな「もし」を想定した堂々巡りを繰り返す。

 予告編や『生きているときは、開けてはいけないドアでした。』という映画の宣伝コピーから、息子アンドレアが死ぬことはあらかじめわかっている。ところがこの映画は前半の3分の1か半分近くを、一家そろっての平和で愛に満ちた日々の描写に当てている。モレッティ監督らしい自然なユーモアもあって、息子が突然死ぬことなどおくびにも出さない。どうせ観客は息子が死ぬことを知っているのだから、そこを映画前半のクライマックスにしてもよさそうだけれど、この映画ではあえて息子の死と葬儀を淡々と描いていく。家族が死ぬことは確かに大事件だが、本当のドラマはその後に始まるのだ。残された家族が、愛する人の死をいかに自らの中で消化し、乗り越えていくかがこの映画のテーマと言える。

 息子の死はこの映画の中で、悲劇のピークではない。息子の死は、家族の中で同じ悲しみとして共有され、残された家族は悲しみによって一致団結する。問題はその後なのだ。家族はバラバラになり、それぞれが個人の中で悲しみに立ち向かわなければならなくなる。それぞれが自分の行動を責め立てる。大きな悲しみという事実を直視できず、それについて考えたり口にしたりせずに生活しようとする。残酷な言い方かもしれないが、「もしもあの時」と考えるのも、愛する人の死という現実を受け入れられない家族たちの現実逃避かもしれない。

 意図的にドラマチックな展開を避けた映画で、しんみりするところはあっても泣けるシーンはない。僕はどんな感動作かと身構えていたので、なんだか拍子抜けしてしまった。しかしこれが、結構あとからじわじわと来るのだ。水面に落とした小石が広げる波紋は、中心より周囲の方が大きくなっていく。この映画もそれと同じ。映画を観ている時より、映画を観た後しばらくたった後の方が、感動は大きく広がっていく。これでもかと観客の涙を振り絞る演出はないが、あとで胸の底からじんわりと温かみが広がる感覚。少し地味かもしれないが、滋養たっぷりの丁寧で真面目なドラマだと思う。

(原題:la stanza del figlio)

2002年正月第2弾公開予定 丸の内ピカデリー2他・全国松竹東急系
配給:ワーナー・ブラザース映画

(上映時間:1時間39分)

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