約束
ラ・プロミッセ

2001/11/21 映画美学校第1試写室
病院で知り合った老人と少年の交流を描く感動作。
ミシェル・セローの名人芸に思わず涙。by K. Hattori

 病院での長く辛い治療が終わった時、10歳のマーティは集中治療室のガラス越しに、医師と母の会話場面を眺めている。医師の唇の動きは「楽観は禁物です」という言葉を示し、それに応えるように顔を曇らせる母の姿があった。マーティはまだ10歳なのに、自分の身に何が起きているのかを正確に悟る。だがマーティはそんな自分の運命をまるで知らないかのように、病院内では精一杯のやんちゃぶりを発揮する。ある日彼が出会ったのは、脳卒中で身体と言葉の自由を完全に失ったアントワーヌ・ベランという老人だった。この老人、身体は動かず口も利けないのに、頭の中は意外なほどしっかりしている。老人特有のぼけ症状がないわけじゃないが、心の中で周囲に悪態をつき、その悪態はユーモアたっぷりに周囲の状況を批判してみせる。そんなベランの心の内を知ってから知らずか、マーティはしばしば老人病棟に出没するようになる。ベランにとってマーティはただのうるさいガキでしかなかったのだが……。

 老人と少年の交流を描いた映画や物語は数多い。例えば最近の映画でも、『コーリャ、愛のプラハ』『セントラル・ステーション』などの映画がある。頑固で人嫌いの老人がたまたま知り合った少年と交流を持つ物語。少年が内に秘めた輝かしい未来の可能性に触れることで、老人自身の内面も変わっていく。しかしこの『約束/ラ・プロミセ』映画は、老人の言葉を封じたことで老人と少年の相互コミュニケーションに大きな制約を課している。さらに少年を重い病気に設定することで、「黄昏の老人」と「少年の持つ輝かしい未来」という対比を無効にしてしまう。この物語の中では、自分の力で自由自在に駆け回ることができる少年の方が、老人より遙かに強い立場にいる。少年は自分の優位さを十分に承知していて、その優位さを使って老人をねじ伏せてしまうことができる。しかしこの先の人生は、ひょっとしたら老人の方が長いのかもしれない。老人と少年はやけにバランスの悪い釣り合いで、互いに対等な立場を保っている。

 ベラン老人を演じているのは名優ミシェル・セロー。マーティを演じているのはオーディションで選ばれたジョナサン・ドゥマルジェ。この映画はこのふたりの魅力に尽きる。特にセローは絶品。老人の心の動きを、ほんのわずかな表情の変化と目の動きだけで表現するのだが、そこに老人の「心の中の声」をナレーション風にかぶせる演出。この「心の声」はたとえフランス語の意味がわからなくても、言葉の抑揚と呼吸だけで観客を唸らせる名人芸だと思う。映画の前半は病院内でのさまざまなエピソードをコミックタッチに綴っていくのだが、それが後半になって、胸を締め付けるような悲痛なタッチへと変貌していく。やっていることは同じなのだが、「老い」や「死」の問題がすぐ目の前に迫ってくるその切実さが、同じような出来事を「喜劇」から「悲劇」へと変えていくのだ。主人公たちが病院を抜け出すあたりから胸が熱くなり、ラストの台詞には思わず泣けてくる。

(原題:LE MONDE DE MARTY)

2001年12月22日公開予定 シネマ・カリテ
配給:東光徳間、ツイン 宣伝:シネマ・クロッキオ、ツイン

(上映時間:1時間29分)

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