光の雨

2001/10/09 シネカノン試写室
'72年の連合赤軍事件を描く立松和平の「光の雨」を映画化。
30年前の事件と現代の若者をうまく重ねている。by K. Hattori

 昭和47年(1972年)2月。軽井沢にある河合楽器浅間山荘に逃亡中の連合赤軍メンバー数名が侵入し、管理人の妻を人質にして10日間に渡る警察との籠城戦を繰り広げた。翌3月、逮捕された連合赤軍メンバーの口から凄惨なリンチ殺人が自供され、殺されたメンバーの遺体が次々に発見される。連合赤軍は京浜安保共闘と赤軍派という2つの組織が合流した寄り合い所帯だが、京浜安保共闘は赤軍派との合流以前にもメンバー2名を殺していた。「連合赤軍事件」と呼ばれるこの事件をモデルとした立松和平の小説を、高橋伴明監督が映画化したのがこの映画『光の雨』だ。映画の中に登場するエピソードの数々は、まず実録と言っていい。日本における実録映画の常として、組織の名称や役名は実際のものから変えてある。例えば、連合赤軍は連合パルチザンに、京浜安保共闘は革命共闘に、赤軍派は赤色パルチザンになり、永田洋子は上杉和枝に、森恒夫は倉重鉄太郎に、坂口弘は玉井潔に名前を変える。だがこうした登場人物達にはすべてモデルがおり、劇中のキャラクターも基本的にはそのモデルに寄り添う形で肉付けされている。

 連合赤軍事件やそのリンチ殺人について、なぜそうした事件が起きてしまったのかをきちんと説明できる人は少ないと思う。僕は子供の頃に浅間山荘事件のテレビ中継を見ているけれど、そこで何が起きているのかはまったく理解できなかった。そもそも僕は学生運動がわからない。安保闘争って何ですか? 革命って何でしょう? 共産主義って何ですか? もちろんひとつひとつの言葉や事件については、百科事典を調べれば意味が載っている。でもそれが、なぜ時代の中であれほど大きなエネルギーを持ち得ていたのか……。結局はそれがわからない。30年前の若者と現代の若者はどう違うのか? なぜ30年前のことが今はわからないのか? いやじつは現代の若者が30年前のことを理解できないのではなく、そもそも30年前の若者たちも、自分たちのやっていることがよくわからなかったんじゃないのか。

 この映画は立松和平の小説「光の雨」を映画化しようとする全共闘世代の中年監督と、その映画に俳優として参加した若者たちのジェネレーションギャップや、そのギャップを埋めようとする30代の若手監督の姿を通して、30年前と今とを結びつけようとする。この映画から政治のことはわからない。時代背景もわからない。でもこの映画は「連合赤軍事件の映画に参加する若者たち」という視点を導入することで、山中の隠れ家で自滅していった若者たちを現代に引き寄せてくる。彼らは運動に参加することで、それまでの弱い自分を捨てて強くなりたかった。そのひたむきさが、映画『光の雨』に出演することで状況を変えたいと願う若い役者たちの心情とオーバーラップしていく居酒屋シーンの面白さ。映画作りというアイデアは、劇中劇の凄惨なシーンを「映画」というオブラートで包み込む効果がある。重く暗いテーマだが、映画は明るい青春ものに仕上がっている。

2001年12月公開予定 シネ・アミューズ、新文芸坐
配給:シネカノン

(上映時間:2時間10分)

ホームページ:http://www.cqn.co.jp/

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