殺し屋1

2001/09/19 徳間ホール
山本英夫の同名コミックを三池崇史監督が映画化。
血糊が噴出する殺戮エンターテインメント。by K. Hattori

 ヤングサンデーに連載されていた山本英夫の人気コミックを、あの三池崇史監督が映画化。原作は単行本で10冊になる長編だが、映画は原作をなぞりながらも話の細部を徹底的に省略することで原作の持つリアリズムを捨て、華麗な殺戮ショーのエッセンスだけを残している。物語の舞台は新宿の歌舞伎町界隈。近隣を牛耳るヤクザ安生組の若頭・垣原と、数人の仲間と共にヤクザ組織を一掃しようとする謎のジジイの下で働く殺し屋イチの戦いを描くスーパーバイオレンスだ。

 長大な原作からかなり広範囲にエピソードを拾っているため、物語のボリュームも大きくなっている。上映時間は2時間8分。原作は綿密に描き込まれた物語細部や人物設定が生み出すリアリティで、歌舞伎町の裏社会にひょっとしたらあるかもしれない世界を生々しく描き出している。しかし映画版は原作の魅力である裏社会のリアリティより、イチという異様な殺し屋の周囲に巻き起こる殺戮の嵐を中心に物語が進行していく。また原作ではイチや垣原が惹きつけられる暴力のヒリヒリするような世界がひとつの大きなテーマになっているわけだが、映画ではそこにあまり深く踏み込むことなく、表面をさらりと撫でるだけで終わらせている。登場人物からは人間臭さが消えて、ヘンテコな人間たちが次々に登場しては意味もよくわからないまま殺し合いをするという話になってしまった。でもこの映画はそれで構わないのだと思う。おそらくこのリアリティ無視は、三池監督をはじめとする製作者側の演出意図なのだ。

 『オーディション』で血の凍るような残虐シーンを描いた三池監督だから、この映画でも思わず胃袋がせり上がってきそうなグロテスクで血なまぐさい暴力シーンを描こうとすればできたはず。でもこの映画はあえてそうしたリアル路線を避けている。個々の描写は原作にほぼ沿った形なのだが、そうした暴力シーンに持っていく部分であえてギャグを入れたり描写をブラックユーモアに転換させたりして、映画全体を「たちの悪い冗談」のようなものにしてしまう。垣原の役を浅野忠信が演じているというあたりが、既に通常の“リアリズム”から一歩距離を置いている証拠だろう。垣原の配下に妙に軽薄な部下を混ぜて笑いを取ったり、連合の会長がヘンにコミカルな芝居を見せたりするのも、監督がこの話をリアルにすまいと考えているからだと思う。その頂点が二郎・三郎の殺し屋兄弟を演じている松尾スズキ。これなんてもう完全に「リアリティからの距離」を通り越してギャグになっている。原作通りなんだけど絶対に爆笑してしまうのは、ジジイが諸肌脱いでその肉体をさらす場面。原作ではジジイの異常性がここで明らかになってゾッとする場面なのに、映画の方はもう笑うしかないのです。

 ハヤリの言葉を使えば、原作は人間の心の中の闇がテーマだった。でも映画は殺し屋とヤクザの戦いを、人体解体のスラップスティック喜劇にしてしまう。人間の命をここまで安っぽく扱いながら、後味は爽やかだ。

2001年12月22日公開予定 シアター・イメージフォーラム、
新宿ジョイシネマ3、シネリーブル池袋、シネマメディアージュ他
配給:プレノンアッシュ 宣伝・問い合せ:カマラド

(上映時間:2時間8分)

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