プラットホーム

2001/08/21 映画美学校第2試写室
中国社会が大きく変化する'80年代を地方の劇団員の視点から描く。
描写の飛躍や省略、視点の移動が多すぎて共感できず。by K. Hattori

 中国山西省の小さな村で、幼なじみ4人が小さな文化劇団のメンバーとして働いている。1979年の演目は毛沢東礼賛と革命礼賛をテーマとしたものだが、集まった観客達は老いも若きも大喜び。だが'80年代の中国は、ケ小平の指導下で改革開放路線を進んでいき、各地に存在した文化劇団も国の支援を失ってしまう。台湾や香港からは最新の流行歌が流入し、人々の音楽の好みも大きく変化していく。映画は中国が大きく変化する'80年代をまたぎ、文化劇団員たちの1991年までを描いていく。監督は『一瞬の夢』の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)。主演は『一瞬の夢』と同じ王宏偉(ワン・ホンウェイ)。

 僕は『一瞬の夢』を面白いと思わなかったが、今回の映画もあまり面白いと思えなかった。10年間という時の流れを描くのに、飛躍や省略があまりにも多い。その間に中心となるエピソードの焦点が少しずつずれていく。王宏偉が演じる冴えない劇団員・明亮(ミンリャン)が一応の主役なのだが、映画は途中から同じ劇団に所属する別の男女の恋愛話が中心になり、明亮は完全に脇に回ってしまう。そもそも群像劇的な作品ではあるのだが、それにしたってついさっきまで主役として物語の中心にいた人が、突然いなくなったり脇役の端っこに移動したりするのはどんなものなのだろうか。これでは映画を観ている方も、どの人物に肩入れしたり感情移入したらいいのかわからない。物語の流れに沿って主人公と伴走していたら、突然主役がコースを離れて一服し始めてしまうようなものだ。観ていてひどく困惑してしまう。

 もっとも監督本人は、そもそも観客が登場人物に共感することなど期待していないのだろう。監督が描きたかったのは主人公たちが生きた「時代」そのものなのかもしれない。『一瞬の夢』を観た時も主人公に共感できずにつまらなく感じたが、今回もまったく同じようなことが言えるから、たぶんこれが監督のねらいなのです。確信犯的な監督の演出意図に対して、観客が「共感できないぞ」と文句を言っても仕方がない。しかし自分のまったく知らない世界を描いた劇映画を観た時、観客がその世界と最初の接点を持つのは、登場人物の喜怒哀楽といった普遍的な感情ではないのだろうか。観客は登場人物に共感し、感情移入し、その視点を我が物とすることで、映画の世界に入り込み溶け込んでいく。登場人物の視点は、ピンホールカメラのレンズ(穴)みたいなものです。映画の世界という暗箱に主人公への共感という小さな穴をあけることで、観客の心の中に映画の風景がきれいに焼き付けられるのだと思うけれど……。

 10年という時の流れの中で、見る見るうちに変化していく町の様子。村々には電灯がともり、道路は工事で何度も掘り返され、人々のファッションにも変化が起き、音楽の趣味も変わっていく。中国人にとってはそうした時代風俗の描写が「共感」を呼び出す装置として機能するのかもしれないけれど、少なくとも僕は駄目だった。「ジンギスカン」は懐かしかったけどね。

(原題:站台 Platform)

2001年11月下旬公開予定 ユーロスペース
配給:ビターズ・エンド
(上映時間:2時間31分)

ホームページ:http://www.bitters.co.jp/

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