千と千尋の神隠し

2001/08/12 日比谷映画
個性豊かな神々の世界を宮崎駿が生き生きと描くファンタジー映画。
日本の神様はなかなか一筋縄ではいかないのだ。by K. Hattori

 大ヒット中の宮崎駿監督最新作を、試写に引き続いて劇場でも観てきた。日曜日最終回(終了は10時近い)という、おそらくもっとも空いていそうな時間帯を選んで劇場に行ったのだが、劇場ロビーはそれでも長蛇の列で、最終的には7,8割の席が埋まっているように見えた。映画自体の印象は試写で観た時とほとんど変らないのだが、時節柄「日本の神様」について考えさせられることもあって、この映画や前作『もののけ姫』で宮崎監督が提示した「日本の神様」の姿に興味を引かれた。

 時節柄というのは、もちろんこの時期に「靖国問題」が世論を二分する大問題になるからです。今年は小泉首相が靖国神社に参拝し、国内外からそれに対する批判が高まっている。参拝に反対する理由として「戦犯が合祀されている」というものがあるのだが、これについては今さら分祀が可能なのかという問題や、東京裁判のありかたそのものを批判する声もある。賛成反対それぞれの意見にはどれも一理あるのだが、それ以前になぜA級戦犯を靖国に合祀したことが責められなければならないのかが僕にはよくわからない。この世に恨みを持って死んだ人や志半ばにして非業の死を遂げた人は、怨霊となってこの世に災禍をもたらすと昔の日本人は考えた。その怨霊を封印する装置が社(やしろ)です。朝廷に反乱を起こした平将門も、要職から左遷されて非業の死を遂げた菅原道真も、その死後に怨霊となって関係者の死や天変地異を引き起こし、今では祭神として神社に祀られている。放っておくとこの世に祟りそうな死者の霊を慰め、そのパワーを封印するのが神社なのです。そう考えると、戦犯を神社に祀るのはきわめて真っ当な行為ですが……。

 日本の神社に祀られている神を、あえて英語に訳すならdemonにすべきでしょう。ちなみに「demon」の和訳は精霊・鬼神・悪霊です。「神は愛なり」という欧米人の宗教観から見ると、日本の神様は不合理で矛盾に満ちている。でも日本人にとっての神様は、慈愛に満ちた存在である前に、まずは恐怖の対象なのです。そんな日本の神様を、宮崎駿が『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』で現代に蘇らせている。『もののけ姫』に登場する「たたり神」は、欧米人の考える神様の尺度には収まらない。『千と千尋の神隠し』に登場する八百万の神々も、欧米人にはGODと説明するより、demonやspiritと説明したほうがしっくりすると思う。しかし今となっては『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』に描かれた日本の神々の世界が、当の日本人からも遠いものになっている。欧米や近隣諸国が日本の神様を理解できなくても仕方がないけれど、日本人までが日本の神様を理解できなくなっているのは困ったものだ。

 僕はA級戦犯にどれほどの戦争責任があったのか、その歴史的評価に立ち入ろうとは思わない。しかし仮にA級戦犯が戦争を引き起こし、日本国民はおろか諸外国にも被害を及ばしたのだとすれば、その魂が再び暴れ出さぬよう厳重に封印しておくべきだと思うけどね。

2001年7月20日よりスカラ座他・全国東宝洋画系にて公開
配給:東宝
(上映時間:2時間5分)

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