ヴィクトール
小さな恋人

2001/06/06 TCC試写室
家を飛び出した幼い少年ヴィクトールと娼婦トリシュの交流。
映像は印象に残るが話は印象に残らない。by K. Hattori

 '96年に『クリスマスに雪はふるの?』で監督デビューしたサンドリーヌ・ヴェッセが、その2年後に作った監督第2作目。この監督の最新作は今年製作された『マルタ……、マルタ』で、これは今年のフランス映画祭横浜で公開される。僕は『クリスマスに〜』しか観ていないのだが、今回の『ヴィクトール/小さな恋人』はちょっとノレない映画だった。この映画が一体何を描こうとしているのか、その焦点が僕にはつかめなかった。

 タイトルになっているヴィクトール少年は、父母のセックス場面に出くわして父を刺し、そのまま家を飛び出して町をさまよう。彼が迷い込んだ移動遊園地の青年ミックに拾われて、彼の友人である街娼トリシュのもとに預けられる。ヴィクトールは家出によって家族を失い、ミックも父親を亡くしたばかりだし、トリシュも父を憎んで家を出ている。ここに登場するのは、全員が「家族」を喪失した人たちです。ヴィクトールはトリシュと同居生活を始め、そこでは姉と弟か、母と息子のような交流が芽生え始める。でもこの映画は「家族を失った登場人物たちが疑似家族を作る」という、よくあるパターンの映画ではない。ミックとトリシュの関係は恋人同士のようでもあるし、そうではないようにも見える。ふたりが具体的にどういう関係なのかは、映画の中でついに描かれることはない。ヴィクトールはトリシュを慕っているけれど、夢に登場する母親はトリシュではない。3人の関係はいつまでも一定の距離以上に縮まらないし、気持ちもすれ違いを続けていく。

 物語には神話や童話から引用したのではないかと思われる設定がいくつかあるが、それが物語の中にうまく根を下ろしていないと思う。例えばヴィクトールが父と母のセックスを目撃して父親を刺すという描写と、彼が母親代わりのトリシュと一緒のベッドで眠るようになる(もちろんふたりの間に性的な関係などないのだが)という話の流れは、父親を殺し母をめとったオイディプス王の物語を連想させる。ヴィクトールは自分が父親を殺したと思い、夢の中では現実の母を求める。ここで描かれているのは、明確なエディプス・コンプレックスです。ヴィクトールが町をさまようとき身につけるフード付きの赤いコートは、「赤ずきんちゃん」の物語を連想させる。でもこうした設定が、物語の中で別の描写とつながっていくことはない。脚本も書いているヴェッセ監督は、こうした描写を無意識に行っているだけなのだろうか。そんなことはあり得ないと思うんだけどなぁ。

 『クリスマスに雪はふるの?』は悲惨で残酷な物語でありながら、その中に家族の愛情関係や生きる喜びが満ちていた。ラストも一応はハッピーエンドだと思う。でもこの『ヴィクトール/小さな恋人』は、映画の中から何の喜びも感じられない。苦悩と苦しみの中で、人々は自分自身を罰するようにさらなる苦しみを求める。ラストも僕には意味がわからなかった。あのネズミはどこに行ってしまったんだろうか……。

(原題:VICTOR... PENDANT QU'IL EST TROP TARD.)

2001年7月28日公開予定 俳優座トーキーナイト(レイト)
配給:オンリー・ハーツ

ホームページ:http://www.onlyhearts.co.jp/



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