沈黙のテロリスト

2001/05/30 メディアボックス試写室
スティーブン・セガールが爆弾処理のプロに扮したアクション映画。
駄作もこのぐらい徹底して駄目だといっそ清々しい。by K. Hattori


 これはまさに夢のような映画である。理由その1。この映画は本当なら銀座シネパトスで上映されるかビデオダイレクトになるような超B級作品なのに、それが日比谷映画系列の全国東宝洋画系で全国公開されてしまう。これは草サッカーチームがワールドカップに出場するようなものだ。勝負は目に見えているけれど、とりあえず世界の大舞台に立ったという事実は残る。すごいぞ。理由その2。この映画は話の筋立てにまったく辻褄が合わず、まるで大げさな不条理劇を観ているような気分にさせられること。「なんでそうなるの?」「どこからそんな話が出てきたの?」というエピソードの連続。爆発、カーチェイス、銃撃戦といったアクション映画の定食メニューをなぞりつつ、その組み合わせがハチャメチャで支離滅裂なのです。伏線なしに唐突に始まるドラマ。シーンのつながりもなく、白昼のシーンが次のカットでは突然夜になる。登場人物の位置関係もまったくわからず、いたはずの人物が突然消え、いなかったはずの人物が突然現れる。このデタラメな展開は、普段なら夢の中でしか味わえないものです。理由その3。登場人物のアップと背景にある風景を意味もなく同ピンにするため、しばしば合成が使われている。このため登場人物が風景に馴染まず、周囲から浮き上がって見えるような場面が多い。またアクションシーンで細かくカットを割るのは構わないのだが、とても本人がアクションを演じているとは思えないようなカットのつながりも多い。

 こうした摩訶不思議感覚に比べれば、この映画がスティーブン・セガールの最新作であること、共演が大御所デニス・ホッパーとトム・サイズモアであること、世界に先駆けて日本で先行公開されることなど、映画会社がセールスポイントにした部分が小さなことに思えてくる。不思議な映画、奇妙な映画を観たいなら、『沈黙のテロリスト』を観るべし! はっきり言ってこれは駄目な映画だしクズだと思うが、この映画が持っているつかみ所のない浮遊感は、何か捨てがたい魅力にも思える。アルバート・ピュンは現代のエド・ウッドではあるまいか。

 B級映画には箸にも棒にもかからない駄作も多いけれど、普通は監督のねらいと作品のズレが「なるほどこういう路線を狙って失敗しちゃったのね」と即座にわかるものだ。それはB級作品ならではの予算やスケジュール不足ということもあるだろうし、監督やスタッフや役者に力量がなかったということもあるだろう。しかしこの『沈黙のテロリスト』は、何がどうしてこうなってしまったのか、失敗の原因がさっぱりわからない。これは間違いなく駄目なクズ映画だけれど、ここまで正々堂々とやられると、もはやこれ自体でひとつの「独自ジャンル」として語れるのではないだろうか。例えば「シュールレアリズム・アクション巨編」とか、「ポリティカル不条理サスペンス」とか……。クライマックスでセガールが「死はすべての終わりではない。魂は輪廻転生するのだ」と語り始めたとき、僕はそれを確信したよ。

(原題:TICKER)

2001年6月23日公開予定 日比谷映画他・全国東宝洋画系
配給:ギャガ・ヒューマックス 宣伝・問い合わせ:マンハッタンピープル
ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/


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