ヴァージン・ハンド

2001/05/29 TCC試写室
ウディ・アレンが殺して捨てた妻の遺体がメキシコで奇跡を起こす。
アルフォンソ・アラウ監督のドタバタコメディ。by K. Hattori


 『赤い薔薇ソースの伝説』『雲の中で散歩』のアルフォンソ・アラウ監督が、ウディ・アレン主演で描くドタバタコメディ。共演はシャロン・ストーン、キーファー・サザーランド、ルー・ダイアモンド・フィリップス、『ハッピィブルー』のデヴィッド・シュワイマー、『イル・ポスティーノ』のマリア・グラツィア・クチノッタ等。アレン演じるお人好しのテックスは、ストーン演じる美人妻キャンディーが男たちと手当たり次第に浮気していることに腹を立て、彼女を殺してバラバラにした上で、ニューメキシコの町はずれに埋めてしまう。だが彼は、トラックの荷台から遺体の手首がこぼれ落ちたことに気づかなかった。翌日近くを通りかかった盲目の老婆が、この手首につまずいて転倒。不思議なことにその瞬間この老婆の目が見えるようになり、彼女はキャンディーの手首をうやうやしく抱えて「マリア様の手による奇跡だ!」と叫ぶ。手首を持ち込まれた教会は信者獲得のためこの「奇跡」を利用することを考え、村長も観光誘致の目玉にこの「奇跡の手」を使おうとする。小さな村にはマスコミが押し寄せ、キャンディーの手首はガラスのケースに入れられて教会の祭壇に陳列される。このニュースを知ったテックスは、妻殺害の証拠を隠滅するために村へ向かう。キャンディーの愛人だった保安官のボボも、キャンディー失踪の謎を追って同じ村へ……。

 つまらない映画ではない。アラウ監督らしい生き生きしたメキシコの風俗描写が、映画全体にみなぎっている。しかしこれが、物語の本筋とはまったく無関係であるという点が、この映画のヘンテコなところだろう。この物語は、妻を殺したテックスと、その真相を追いかける保安官ボボ、手首を観光資源にしようとする村の連中が、ひとつの手首を巡って壮絶な綱引きをするというのが中心になっている。手首はただの手首でしかないのだが、それをある人は「犯罪の証拠品」と考え、ある人は「聖母マリアの奇跡の手」だと考え、ある人は「観光収入を生み出す打ち出の小槌」と考える。そのギャップが登場人物同士のすれ違いを生み出すわけだ。

 ところがアラウ監督の関心はこうした物語本来の中心を離れ、奇跡に一喜一するメキシコの人々の姿に焦点を当てていく。あえて物語の中心を探すとすれば、村の神父ジェロームと、その愛人である娼婦デジの恋愛関係ということになるのかもしれない。これは感動的なエピソードだが、映画の中心話題である「手首」そのものとは直接関係がないことも確かだ。物語が求める中心点と監督の設定した中心点がここまでズレているのは、この映画の致命的な欠陥だと思う。

 僕自身は中南米カトリック社会(映画の舞台はニューメキシコだが)が持つ、いい意味での大らかさ、悪い意味でのいい加減さがよく描けている映画だと思 ったし、カトリックが伝統的に持つ「聖遺物信仰」の素朴さとグロテスクさ、奇跡という名の「現世利益」希求などが、ざっくばらんに描かれていて面白か ったけどね。

(原題:Picking Up The Pieces)

2001年8月上旬公開予定 シネ・アミューズ
配給:アートポート、アースライズ
ホームページ:http://www.artport.co.jp/
http://www.emovie.ne.jp/



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