息もできない長いKISS

2001/05/18 シネカノン試写室
ボリビア帰りの若いヤクザと在日コリアンのホテトル嬢の出会い。
話と語り口は面白いが、安っぽさが悲しい。 by K. Hattori


 世話になった兄貴分から、対抗組織の幹部暗殺を依頼された若いヤクザ山崎。歩間違えれば明日は死ぬかもしれない身の上の彼が、研ぎ澄まされ高ぶった神経をなだめるかのようにホテトルに出した注文は、「賛美歌の歌える女を寄こしてくれ」だった。やってきたのはユリカというおとなしそうな女。ヤクザのこの時ふたりは、この出会いに運命的なものを感じる。鉄砲玉の男と、若い娼婦の純愛。ふたりはその夜何度も身体を求め合い、互いの身の上を語り合い、白々と明けていく空を眺めながら「今度また会った時は息もできないような長いキスをしよう」と約束して別れる。もう二度と出会えないであろうことを、半ば覚悟しての別れ。後ろ髪を引かれるような切ない思い。だがその日の午後、ふたりはとんでもない場所で再会することになる……。

 主役は山崎とユリカのふたり。映画の後半からはここに、山崎のターゲットなっていた中年ヤクザがからんでくる。物語は山崎のモノローグで始まり、ユリカのモノローグにバトンタッチし、ふたりが出会ってからは時間を前後させながら、再び別々の物語へと分岐し、最後は思ってもみなかった意外なエンディングへと着地する。監督・脚本はこれが長編映画デビュー作となるキム・テグワン。在日三世という彼の出自が、在日のユリカ(本名は柳里花)や、ボリビアで開拓民として少年時代を過ごしたという山崎の、日本人でも外国人でもないというキャラクター造形へとつながっているのだろう。

 映画の中では、描かれていないものがむしろ主要なテーマになっている場合ある。この映画の場合、それは家族や家庭の存在だ。山崎もユリカも中年ヤクザも、みんな一人暮らしの独身者。だが山崎が語る父親や祖父のエピソードが、妙にとげとげしい殺意すら感じさせるのはなぜか。殺し屋を待ち受ける中年ヤクザが、奇妙な「新婚さんゴッコ」の中で見せる結婚生活に対する屈折した心情の、笑ってしまうのが失礼ではないかと思うほどの切実さ。近親相姦で子供を宿した茶髪ホテトル嬢の家族に対する執着と、彼女のその告白を聞いたときのパニックに近いユリカの狼狽ぶり。これらは一体どんな意図があるのか? おそらくはこの“欠落感”が、映画が終わった後、「主人公たちは幸せな家庭を作るに違いない」という思考に観客を導いていく仕掛けになっている。

 どうしようもなく低予算のインディーズ映画で、その懐具合の貧しさが映画出来上がりにズシリと重い足かせとなっている部分も多い。一番気になったのは、シーンごとに画面の色やタッチの統一感がないこと。映画導入部の主人公ふたりのモノローグなどは、それぞれに画面のタッチをそろえて、別々の場所で別々のドラマが展開しているということを明確にしておきたいところだと思う。小道具などで工夫はしているけれど、これに画面の質感が伴えばなおよかった。『トラフィック』は少々やりすぎだけど、狙いとしてはあんな感じに した方がよかったと思う。ちょっと欲張りな要求かな。

2001年8月4日公開予定 中野武蔵野ホール
製作:ゾーン、エッジ 宣伝協力:バイオタイド 
ホームページ:http://www.nifty.ne.jp/forum/fcinema/kim


ホームページ
ホームページへ