王は踊る

2001/05/16 日本ヘラルド映画試写室
太陽王ルイ14世と宮廷音楽家リュリの奇妙な友情と確執。
音楽、衣装、美術にフランス映画の底力を感じる。 by K. Hattori


 17世紀後半のフランスは、「朕は国家なり」で有名な太陽王ルイ14世の治世で空前の繁栄を誇っていた。その宮廷で若い王の寵愛を受けていたのが、イタリアからやってきた才能あふれる音楽家リュリだった。この映画は権謀術数渦巻く宮廷政治と、舞踏家としても一流だったルイ14世とリュリの絆と葛藤、反骨の劇作家モリエールとリュリの友情などをからめながら、フランスがもっとも輝かしかった時代を浮き彫りにする歴史巨編。政治の世界を描きながらも、それを音楽や演劇の世界に住む人間たちの視点から描いているため、映画全体がじつに華やかできらびやか。同じ時代を料理人の視点から描いた『宮廷料理人ヴァテール』という映画もあったが、それより一枚も二枚もこの映画の方が上手だと思う。

 プレスにはこの映画を「男色家でもあるリュリのルイ14世に対する身分違いの恋」という切り口で紹介してあるのだが、これは別にそういう映画じゃないと思うぞ。映画の中ではリュリが男色家だったことが描かれているし、監督が『カストラート』のジェラール・コルビオだということもあって、そうした解釈に傾いているのかもしれない。でも映画の中心になっているのは、宮廷内部での権力闘争と、絶対王政下での権力者と芸術家の関係などだと思う。リュリが王を愛していいたのは事実だとしても、それは芸術家のパトロンへの愛であり、主君に対する家臣の愛です。イタリアから渡ってきた男のフランスに対する絶望的なまでの憧れが、主従関係の中で複雑な化学反応を起こした末に生み出された愛。自分の芸術を王だけが理解してくれるという自信に裏打ちされた、芸術家ならではの自尊心と結びついた愛。他の宮廷音楽家への嫉妬と憎しみが、王の宮廷内での権力闘争と二重写しになっているところで生じた、リュリの王に対する自己投影が生み出した、限りなくナルシズムに近い愛。

 ルイ14世を演じているのはブノワ・マジメル。リュリを演じるのはボリス・テラル。ルイもリュリも、宮廷内で自らの権力を獲得しようと血眼になっている映画の中盤あたりまでは、じつにいい顔をしている。だが映画の終盤ではルイが宮廷内から政敵を追い出して王権を確立し、リュリはライバルを蹴落として音楽監督の地位を手に入れる。こうなるとこのふたりは権力の中で自らの自尊心と自己顕示欲とをグロテスクに肥大化させて、見るも無惨な醜態をさらし始める。このふたりに比べると、チェッキー・カリョ扮するモリエールははるかにバランスの取れた人物として描かれている。しかしその彼も、王の寵愛を受けようとして自らを「王の代弁者」に任じたり、最後の舞台でも王が観劇に来るのを今か今かと待ち望むなど、王にべったりの姿勢を見せる。モリエールもリュリと似たような所があるわけです。

 音楽とバレエの映画でもあり、全編が当時のバロック音楽で埋め尽くされている。音楽を担当したのはムジカ・アンティクァ・ケルンのラインハルト・ゲーベル。クラシック音楽ファンにとっても見逃せない映画です。

(原題:Le Roi Danse)

2001年夏公開予定 シネマライズ
配給:日本ヘラルド映画
ホームページ:http://www.herald.co.jp/movies/leroidanse/index.html


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