アリーテ姫

2001/05/09 松竹試写室
原作はフェミニズムの童話だがアニメにそうした政治性はない。
女の子が活躍するのは日本アニメの得意技なのだ。by K. Hattori


 原作「アリーテ姫の冒険」は、白馬の王子さまが現れるのをじっと待ち続ける昔ながらの童話のお姫様に対するアンチテーゼとして、ダイアナ・コールスという女性が書いた児童文学作品です。日本でも“フェミニズム”や“ジェンダーレス”という文脈でマスコミに取りあげられることも多かった。何しろ訳しているのはグループ ウィメンズ・プレイスという女性グループで、監修が横浜女性フォーラムです。興味津々だけど、僕はこれを読まなかった。僕はフェミニストがしばしば持ち出す「女性は男性に搾取されている」「女性は社会的弱者である」という被害妄想的な言説に違和感を持つので、その手の本だったら嫌だし退屈だろうなと思ったわけです。

 もちろんフェミニストも千差万別で、「女性=男性社会の被害者」という立場に立たない人も大勢いますけどね。僕は現代社会の中で女性が被害者なら、男性も同じぐらい被害者だろうと思ってます。一部のフェミニストが主張する、世の中が男性だけに都合よく作られているなんて説はまるきりの嘘っぱちです。今の世の中は世間の大多数の男女にとって、どちらにも都合よくできている。問題はその世の中の仕組みに違和感を感じる少数派の立場を、どう守るかということでしょう。そこには男性も女性も関係ないんじゃないかな……。まぁこれは、映画の話とはまったく関係ない脱線だけど。

 映画『アリーテ姫』は、そんな原作を『MEMORIES』や『SPRIGGAN』のSTUDIO4℃が映画化した長編アニメ作品。中世のお城の中で花婿となる騎士の到着を待つアリーテ姫は、本を読むのが大好きで想像力も豊かな頭のいい少女。周囲の人たちは「女性にとっての幸せは立派な殿方の妻になること」と思っているらしいけれど、アリーテはどうしてもそれに納得できない。塔の窓から見える庶民の暮らしは、あんなに生き生きと輝いているのに、何不自由なく暮らしている自分の生活は暗くくすんでいる。外に出て自分で自由に暮らしたい。世界中の不思議を自分の目で見てみたい。それがアリーテの望み。でもそんなアリーテを、父王も重臣たちもまったく理解しない。「そんなことを言い出すなんて何かの呪いだ!」と恐れおののくばかり。アリーテは城を抜け出そうとする。

 城の中の人々や花婿候補の騎士たちが、アリーテに未来の幸せを説くくだりは確かにフェミニズムっぽいのだが、映画は中盤から急速に陳腐なフェミニズム色を消し去り、子供が大人に成長するとき誰もが通るであろう普遍的な物語を作り上げていく。自分の目の前に未来がどこまでも開かれているという、楽観的で希望に満ちた子供時代の夢。でもそれはいつしか、世の中の常識や現実を前にして萎縮し、夢は日常の中に埋没してしまう。「こんなはずじゃない」「私の本当の生き方は他にあったはずなのに」と漠然と思いながら、平凡で月並みな生活の中に埋もれていく日々。この映画はそんな大人たちに向かって、「本当の自分を捜せ!」と強く訴えかける。これはすべての大人に向けたファンタジーです。

2001年7月21日公開予定 東京都写真美術館、シネ・リーブル池袋
配給:オメガ・エンタテインメント
ホームページ:http://www.movie-eye.com/arete/


ホームページ
ホームページへ