点子ちゃんとアントン

2001/04/23 松竹試写室
ケストナーの原作を映画版はどう脚色して現代化したか。
原作もいいけど映画もなかなかだよ。by K. Hattori


 ドイツの文学者エーリヒ・ケストナーが1931年に書いた子供向け読み物の傑作を、『ビヨンド・サイレンス』のカロリーヌ・リンクが脚色・監督した映画。昨年の東京国際映画祭で上映されたときは『点子ちゃんとアントン君』というタイトルで、ケストナーを読んで育った僕としては「うへぇ」という気分にさせられたのですが、劇場公開に際しては「君」がとれて子供時代からお馴染みのタイトルになりました。原作は1930年頃のベルリンを舞台にしているのですが、映画は時代を現代に移し、場所はミュンヘンになっています。金持ちの一人娘点子ちゃんと、貧しい母子家庭の少年アントンの友情を描く物語の骨子は原作のままですが、時代の変化に合わせて原作から大きく変更している箇所もある。

 物語の中で原作と大きく違っているのは、点子の家庭教師をしているロランス(原作ではアンダハト嬢)のキャラクターが現代的になっている部分と、アントンが点子の家のパーティに招かれてある事件を起こす部分。原作のアンダハト嬢は頭のおかしなオールドミスで、家政婦のベルタとは犬猿の仲。ならず者の恋人に入れあげたあげく、街頭で点子と一緒に物乞いのまねごとをするというヘンテコな女性だった。それに対して映画のロランスは、だらしないところもあるけれど明るく元気いっぱいのフランス娘で、点子とは年の離れた親友か姉妹のような親しさがあるし、家政婦のベルタとも大の仲良しという設定。僕はこのロランスが大好きになりました。こういう原作の改変は大歓迎です。これに対して、アントンが事件を起こす場面はどうなのか。原作のアントンなら、出来心とはいえこんな馬鹿なことは絶対にやらないと思う。しかしこの映画で見られるこうしたアントンの弱さは、この映画の狙いでもあるのでしょう。

 この映画は点子やアントンを特別な子供としては描かない。そこいらの路上にどこにでもいる、ごくありふれた普通の子供たちとして描いている。それは映画の冒頭のトランポリンの場面で、大勢の子供たちが遊ぶ中から点子とアントンにゆっくりとフォーカスが合っていく場面でも象徴的に描かれているし、アントンが行方不明になったとき、町の中にアントンによく似た少年が大勢いるという場面でも端的に描かれている。点子ちゃんとアントンはこの物語の主人公ですが、同世代の子供たちに比べて特別優れているわけでも変わっているわけでもない。同じ世代の子供たちが持っている幼さや弱さを同時に持ち合わせた、ごく普通の子供たちなのです。だからこそ、アントンは出来心で馬鹿なこともやる。

 普通の子として描かれているのは点子も同じです。映画の中には点子ちゃんがイジメっ子にちょっかいを出されて泣きべそをかく場面がある。原作の点子なら、こんな時絶対に涙なんて見せないでしょう。でもこの映画の点子は、嫌な子にいじめられたらやっぱり悲しくて悔しくて涙が出ちゃうのです。僕はこうした点子ちゃんとアントンが、原作のふたりと同じぐらい好きになりました。

(原題:Punktchen und Anton)

※この映画のプロデューサーチームが、ケストナー原作の『エミールと探偵たち』を現在製作中。これもぜひ日本公開してほしい!

2001年初夏公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給・宣伝:メディア・スーツ
ホームページ:http://www.tenko-anton.com


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