白夜の時を越えて

2001/04/17 TCC試写室
母に捨てられた双子姉妹の数奇な運命を描くフィンランド映画。
テーマはわかるけどちょっと難解なところも。by K. Hattori


 第二次大戦末期のフィンランド。駐留していたドイツ兵との間に双子の女の子を産んだものの、名前さえ付けることなく捨て去ってしまった母親。姉妹は共産主義者の祖母に育てられるがやがて彼女も亡くなってしまい、ふたりは孤児院に預けられることになる。

 映画の冒頭に聖クリストフォロスの絵が登場する。幼子の姿をしたキリストを背負って川を渡ったと言われるクリストフォロスは、昔から旅人たちの守護聖人として知られている。史実性が薄いという理由でバチカンの聖人リストからは削除されてしまったが、昔も今も多くの人たちに親しまれている。この映画のテーマは「誰かと共に人生を歩むこと」だ。それが聖クリストフォロスの姿と重なり合う。誰かと共に歩むことは、その人の抱える全世界を共に背負うこと。双子の姉妹の母親は、自分の生んだ子供と共に生きることを拒否して、自分ひとりで気ままな人生を送ることを選んだ。ひとりで生きるのは確かに気楽で自由に違いない。わざわざ苦労して、他人の人生の重荷まで背負い込むことはないと考えるのが、人間の正直な気持ちというものだろう。こうして労苦を厭う人間の姿と、あえて全世界を背に負ったクリストフォロスの肖像が、映画の中では対照的に描かれていく。

 家族が自分にかける期待に堪えきれず、ブランコから転落してすべてを拒絶するイレネ。そんな彼女を見下ろすクリストフォロス像。稼ぎ頭のイレネに見切りを付けた母の愛人は、母が留守のうちにサーカスからぷいと姿を消してしまう。その彼が少し躊躇した後に壁からはずして持ち去ったのが、聖クリストフォロスの肖像画だ。

 人間は他人の重荷を負うことで強くなる。キリストを背負うことで全世界をその肩に担ったクリストフォロスは、その後たび重なる迫害や拷問にも耐え抜くキリスト教徒として生き、最後は壮絶な殉教を遂げた。この映画の中では、成長して大人になったヘレナが、町で出会った少女を受け入れることで生まれ変わる。子供の手を引きながら夜の町を歩み去っていくヘレナの姿は、映画冒頭にあるクリストフォロスの姿に重なるのだ。

 主人公となる姉妹より、僕はその母親の描き方がすごいと思って観ていた。自分勝手に生まれたばかりの娘を捨て去り、その後も自分の都合で娘を孤児院から引き取る母。娘を芸人にして一儲けすることをたくらみ、男に捨てられれば今度は娘に泣きつき、男と見れば相手構わず手当たり寝る母。年老いてついに誰からも相手にされなくなった彼女が、家にひとり残った娘に向かって叫ぶように語りかけるシーンは壮絶。次第にこのわがまま勝手な母親の姿の中に、弱い人間の原型があるのだと思う。

 過去の回想シーンをカラーで描き、成長したヘレナが廃墟のようになった祖母の部屋を訪ねてくる現在のシーンをモノクロで描いている。映画は回想シーンのお尻が現在には直接つながらないので、「あの姉妹は結局どうなっちゃったの?」という疑問は残るけど、これはこれでいいのかも。印象的な音楽はリカルド・アインホルン。

(原題:FIRE-EATER)

2001年初夏公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:アップリンク
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