クレージー・ラブ

2001/04/11 TCC試写室
'60年代の前衛芸術活動を記録した貴重な映画。
絶滅動物の記録映画を見た気分。by K. Hattori


 5月12日からシネマ下北沢で始まる《アンダーグラウンド・アーカイブス1958−1976》は、商用映画という枠組みからはずれたももうひとつの日本映画史を、アヴァンギャルド、アンダーグラウンド、自主映画といった作品群を通して眺望しようという野心的な大特集。長短合わせて全部で79本の作品が上映されるが、そのうち2本がマスコミ試写されるというので観てきた。

 『クレージー・ラブ』は'68年に製作された16ミリ作品で、監督は岡部道男。ほとんどがモノクロだが、一部がカラーで撮影されている。中身は演劇的な要素を持つ街頭パフォーマンス、前衛舞踏、ハプニングなどの記録だが、全体を通してみると何となくストーリーライン(?)のようなものが見えてくる構成になっている。単に当時のコンセプチュアル・アートの活動を記録したわけではなく、あらかじめシナリオを作って撮影が行われているのだろう。台詞はほとんどなくて、当時の流行歌やポピュラーミュージックなどをBGMに、映像と映像を繋いでいく形になっている。

 パフォーマンスという芸術活動は'70年代末から''80年代に一大ブームを巻き起こすのだが、そこで脚光を浴びたのはナムジュン・パイクのビデオアートやインスタレーション、ローリー・アンダーソンらの活動だった。'60年代のアーティストたちの活動は、'70年代に一度下火になってしまい、''80年代の活動とは切れている。僕は'80年代にデザイン学校の学生だったので、当時のパフォーマンスブームを何となく同時代の空気の中で知っている。'60年代に日本のパフォーマンス・アートの世界を引っ張っていた人たちは、'80年代以降はそれぞれ別の世界に活動拠点を移していた。小野洋子はジョン・レノンの未亡人になっていたし、赤瀬川原平は路上観察の世界でトマソンブームを起こしていた。僕は赤瀬川原平の「東京ミキサー計画」などを読んで、なんだか昔はすごいことをやっていたんだなぁと思った次第。'80年代のパフォーマンスブームの中で'60年代とのつながりを色濃く感じさせたのは、山海塾など暗黒舞踏系のモダンダンスぐらいのものではないだろうか。

 '60年代のパフォーマンスは、その当時の時代風俗や思想潮流の中から生まれたあだ花のようなもの。ブロードウェイでミュージカル「ヘアー」を生み出したのと同じ空気が、日本では様々なパフォーマンスを生み出していたんだと思う。それは世界が水瓶座(アクエリアス)の時代に突入し、既成の概念は崩れて若者たちが台頭し、『2001年宇宙の旅』がドラッグカルチャーの映画としてもてはやされていた時代の出来事だ。もう同じような時代は二度とやってこないだろう。この映画はアートの世界の“絶滅種”となったパフォーマンス群を、当時の空気ごと記録している貴重な作品だと思う。

 同時に上映された『ハイレッドセンター・シェルタープラン』は、城之内元晴が'64年に撮影した作品。こんな馬鹿なことを、当時は大真面目にやっていたのね。

2001年5月12日〜6月29日公開予定 シネマ下北沢
問い合わせ・資料請求:アンダーグラウンド・アーカイブス実行委員会
ホームページ:http://www.cinekita.co.jp/(劇場)


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