夜の哀しみ

2001/04/05 東映第2試写室
三浦哲郎の同名小説を映画化。不倫主婦の家庭崩壊劇。
主演は平淑恵。真面目な映画だがつまらない。by K. Hattori


 三浦哲郎の同名小説を、佐伯俊道の脚色と岡泰叡監督で映画化。主演は文学座の平淑恵。舞台は青森の小さな港町。35歳の登世は小学生の子供ふたりを育てながら地元の工場でパートをする平凡な主婦だが、夫は出稼ぎに出たままほとんど1年中戻ってこない。身体の奥から広がってくる抑えがたい性の渇きに、登世は寝れない夜を過ごすことが多い。日々の生活に追われ、夫と子供を深く愛しながらも、身体の芯が火照ってしまう。自分は淫乱なのではないか? 近所の老婆はそんな登世を見て「切ない年になったな」とつぶやき、親友の英子は「私たちの年代の女性はみんな淫乱よ」と言う。やがて英子が病気で入院。何かと不自由になった彼女の夫の身の回りの世話をするうち、登世は彼と関係を持ってしまう。

 ほんの20年か30年ほど前まで、「女には性欲などない」というのが常識とされていた。女性が性の欲望を感じるのは非常識であり、それ自体が規格外であり、ふしだらで不道徳なことだった。これは女性から性の剥奪しようとする社会的な差別でしかないのだが、当時は誰もそれに疑問を持たなかった。女性に性欲があるか否かという設問そのものが、そもそもタブーだったのだ。この映画はそんなタブーに真っ向から切り込んでいく。しかし僕はこの物語にも、この映画にもまったく共感できなかった。

 主人公の登世は自分の中で膨れ上がる性欲という魔物に押しつぶされるようにして親友の夫と不倫関係になり、家庭崩壊という坂道を真っ逆さまに転げ落ちていく。テーマは「女の性」なのだが、登世はその存在によって彼女にとってかけがえのないものを次々に失ってしまうのだ。この物語はタブー視されていた「女の性」を白日のもとにさらけ出したものの、結局は「女の性」を「悪」や「罪」としか描いていないのではないか? もちろんこの物語の中では、男の性が肯定的に描かれているわけでもない。ヒロインを性の吐け口にしながら結局は彼女を捨てる身勝手な男も出てくるし、自らの性欲によって破滅する馬鹿な男も登場する。しかしヒロインの運命はあまりにも過酷であり、なぜ彼女がこれほど悲惨な目に遭わなければならないのかという理由付けが甘い。結局は手っ取り早い結論として、「不倫女の自業自得」というところに落ち着いてしまうのではないだろうか。

 性の問題を「人間の理性を失わせる恐ろしいもの」として描くだけでは、結局“臭いものに蓋”という結論にしかならないのではないだろうか。ヒロインは「私の中の淫乱が憎い!」と叫ぶのだが、これは映画の流れからすると「私に性欲がなければこんな悲劇は起きなかったのに!」という叫びと同義ではないか。でも性欲のない人間なんていない。ヒロインの叫びは無い物ねだりだし、自分の行動の責任を棚上げして、すべてを「性欲」に責任転嫁した言い逃れだと思う。

 結局このテーマを扱うには、エピソードの肉付けが薄いのでしょう。演出もメロドラマ調で興醒めだったけど、そもそも脚本段階でもっと練っておくべき映画でした。

2001年5月26日公開予定 新宿東映パラス2 以降順次全国公開
企画制作:MILO FILMS 配給:アースライズ
ホームページ:http://www.milofilms.com


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