メトロポリス

2001/04/04 日劇プラザ
手塚治虫の初期作品を大友克洋とりんたろうが映画化。
絵はすごいけどドラマはだいぶ弱い。by K. Hattori


 手塚治虫が昭和24年に発表した長編SF漫画を、『AKIRA』の大友克洋の脚本と、映画『銀河鉄道999』『幻魔大戦』のりんたろう監督が映画化した長編アニメーション映画。予告編を観たときから「すごい!」と思わせる期待作だったが、完成品はその期待に応えてくれなかったのが残念。手塚治虫の初期作品に特有の丸っこいキャラクターがそのままアニメになるというのはすごいと思うし、CGと手描きのアニメがきれいに合成されているシーンはびっくりするぐらい綺麗。でも肝心のドラマ部分がスカスカなのだ。ドラマに厚みがないとかキャラクターが薄っぺらだとか、多分そういうことではないんだと思う。物語の背景となる世界観はかなりしっかりできているし、人物配置もそれぞれしかるべき場所にしかるべきキャラクターが置かれている。しかしながら、個々のエピソードの線がいかにも細い。このぐらいスケールの大きなドラマなら鉄骨で物語の骨組みを作っていかなければならないのに、ひょろひょろの針金か竹ひごで全体を作っている感じがする。全体がフワフワしていて、まったくボリューム感がない。

 この規模の映画で、物語を引っ張る芯になる主人公が不在なのはちょっと致命的。未来都市メトロポリスの実力者レッド公の政治的野望を物語の背景に置き、レッド公の養子ロックと、レッド公の亡くなった愛娘ティマに瓜二つの少女型ロボットを対比させるというのが、このドラマの中心になるはず。レッド公とロックは血のつながらない親子で、レッド公はロックを便利に使うが半ば疎んじており、ロックは養父レッド公の愛を得ようとあがいている。レッド公はティマそっくりのロボットに世界を支配する権能を与えようとするほどだが、ティマ(ロボット)の方はレッド公を何とも思っていない。ここにからむのがヒゲオヤジとケンイチ少年だが、このふたりは観客に成り代わってメトロポリスを探検する狂言回しだ。中心はあくまでも、互いに血のつながらない父親と兄妹の確執。この3人の心理的なすれ違いをドラマの焦点にすれば、映画のクライマックスももっと悲劇が盛り上がり、感動も大きくなったと思う。

 映画のクライマックスは2回ある。1回目は地下のスラムに住む人々の叛乱とクーデターで、2回目は予告編にも登場したジグラット崩壊のスペクタクル。この2つが隣接していることを気にしたのか、映画は1回目のクライマックスである叛乱とクーデターを直接描写することを避けている。これにはガッカリだ。こんな描き方をするぐらいなら、最初から叛乱とクーデターのエピソードそのものを脚本からカットすべきだったのではないか。

 2回目のクライマックスでレイ・チャールズの「アイ・キャント・ストップ・ラビング・ユー」が流れ始めるシーンも、狙いはわかるけど空振り気味だと思う。この歌の直前までにドラマをもっと緊迫感あふれるものにしておかないと、歌が流れた瞬間に感動がドッと押し寄せる効果は望めないと思うけどなぁ……。

2001年6月公開予定 東宝洋画系
配給:東宝
ホームページ:http://www.metropolis-movie.com/


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