ディスタンス

2001/03/28 映画美学校試写室
カルト教団の無差別殺人事件をモチーフにした映画。
『ワンダフルライフ』の是枝裕和監督作品。by K. Hattori


 『ワンダフルライフ』の是枝裕和監督最新作。賛否分かれそうな映画。僕はこの映画に乗れなかったけれど、はまる人は思い切りはまると思う。これは映画の理解力云々という話ではなく、この映画そのものの成り立ちが、観客を選別してしまうのです。僕はこの映画の想定する観客ではなかったのでしょう。『ワンダフルライフ』は悪くない映画だと思いましたが、今回はダメでした。

 ある夏の日。山奥の小さな駅に集まる4人の男女。ちょうど1年ぶりの再会だ。年齢も職業もバラバラなその4人組は、山道をたどってさらに山奥にある湖に向かう。じつはこの4人は、3年前に起きたカルト教団による無差別大量殺人事件の加害者遺族なのだ。死者100名以上を含む数千人の死傷者を生み出したこの事件の後、教団はグループ全員が自決する形で消滅してしまった。遺族たちは家族が死んだとされる日を命日と定め、毎年のように教団の本拠地があった山奥の湖を訪ねている。湖水に花を手向けて戻ろうすると、4人の乗ってきた車が消えている。何者かが盗んだらしい。駅まではだいぶ距離もある。日没までにはとても歩いてたどり着くことはできない。そこで4人の前に現れたのは、教団の唯一の生き残りとなった青年。彼もまた、自分の乗ってきたバイクを盗まれて途方に暮れていた。4人は青年の案内で、教団がかつて使っていたという湖近くの小屋に行き、そこで一夜を過ごすことになる。

 劇中に登場する「真理の箱船」が、オウム真理教の事件をモデルにしていることは明らか。この映画はオウム事件においてマスコミ報道からオミットされている「加害者の家族」と「脱会信者」にスポットを当てている。人間はどんな大事件に遭遇しても、その後の人生を事件を振り返ったり悔いたりすることだけして過ごすわけではない。日常の些細なことで泣いたり笑ったりすることは、他の人たちと何ら変わらないだろう。だが何かのきっかけで、事件の記憶がグサリと胸を突き刺す瞬間がある。この映画が描いているのは、事件と直接間接に関わった個人が抱えているそんな「瞬間」の痛みだ。

 映画の作り手の意図はわかる。しかし僕はこの映画の作り手と、そもそも考え方のベースが違うのだ。この映画の脚本も書いた是枝監督はプレス資料の中でオウム事件について触れ、『彼らの行為が許されない犯罪であったことは間違いない。しかし彼らを、私たちとは無縁な悪魔として切り捨てるだけでは、何も問題は解決しない。なぜなら、彼らを生み出したのは間違いなく私たちの社会であり、その意味では私たちもまた加害者なのではないか、という逆転した問いが成り立つからだ。少なくとも私たちがイノセントな被害者でないことだけは確かだろう』と述べている。加害者の家族や脱会信者は、確かに「イノセントな被害者」ではないだろう。だがオウムの犯罪について社会全体が責任を負うという考えは、ちょっと飛躍しすぎだと思う。そんなものは屁理屈です。屁理屈を前提とした映画に、僕は共感できません。

2001年5月旬公開予定 シネマライズ
配給:『ディスタンス』製作委員会 配給協力:P2
ホームページ:http://www.kore-eda.com


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