けものがれ、俺らの猿と

2001/03/08 メディアボックス試写室
町田康の小説を永瀬正敏主演で映画化したものだが……。
永瀬正敏に不条理世界は似合わない。by K. Hattori


 町田康の同名小説を、ミュージックビデオ出身の須永秀明監督が映画化した、ホラーなんだか、コメディなんだか、サスペンスなんだか、ミステリーなんだか、よくわかんない映画。永瀬正敏演じる売れない脚本家・佐志のもとに、映画プロデューサーと名乗る奇妙な男・楮山から1冊の企画書が届けられる。シナリオハンティングのためにと取材費を渡された佐志は、楮山から命じられるままに某所にあるゴミ処分場を目指す。だがそこで佐志を待っていたのは、町中の人の彼に対する異様な眼差しと、理不尽な暴力の洗礼だった。命からがら自分のあばら屋に戻ってきた佐志を、楮山はまた別の取材に連れ出す。だがここでも楮山はまったく頼りにならず、佐志はさらなる悪夢世界に入り込んでしまうのだ。

 ジャンル分け不能な映画なのだが、あえて言えばカフカの小説やつげ義春の『ねじ式』などに通じる、不条理な世界を描いた作品だ。とにかく映画に登場するありとあらゆる出来事が、常識のタガがはずれた非日常。主人公である佐志の奇妙な扮装もかなりすごいし、ゴミだめのような部屋に徘徊する巨大な昆虫もこの世のものとは思えない。僕はこの虫のシーンを見て、これはてっきり精神に障害を持った男の視点で物語が進行しているのだと思った。周囲に得体の知れない虫がいるというのは、妄想や幻覚の中では比較的ポピュラーなものだと思ったからだ。ところがこの虫は主人公だけに見えるわけではなく、家を訪れた大家にも盛大に噛みついて重傷を負わせる。ということは、この映画の世界ではこういう虫が確かに存在するのだろうか……。う〜む。かなり危険だ。

 残念ながら僕はこの映画があまり楽しめなかった。理由は簡単で、どんなに映画の中に非日常世界が展開しても、主人公の佐志を演じる永瀬正敏が非日常性を受け入れない強烈な存在感を持っているからです。これは最近彼が出演した『五条霊戦記//GOJOE』や『PARTY7』でも感じたこと。映画が日常空間からパッと非日常にジャンプしたとき、永瀬正敏は非日常の側に飛び出せない。彼の持ち味である「隣のアンチャン」みたいな部分を半分ぐらい残してしまうので、日常と非日常の間で宙ぶらりんになってしまうのです。これは永瀬正敏の演技力の問題ではなく、本人が持っている個性の問題。この頑固な日常性が、『ねじ式』や『五条霊戦記//GOJOE』で主演を張った浅野忠信と永瀬正敏の大きな違いなのです。

 この映画の中で永瀬正敏の個性が生きていたのは、山の中で奇妙な男の家に招待されて、バーベキューをする羽目になる場面。ここでは主人公が「なんだかとんでもないことに巻き込まれている」という自覚を持っているから、永瀬正敏の日常性と、奇妙な男の振りまく非日常性がうまくぶつかり合ってドラマが成立する。ゴミ処分場見学で袋叩きにあうシーンも同じ。でも彼が虫のたかる家にいたり、喫茶店で客の相手をするシーンになると、永瀬正敏の個性と状況設定がずれてきてしまうのだ。今回の映画は、ちょっと永瀬正敏向きではなかったかも。

2001年6月下旬公開予定 シネクイント
配給・宣伝:メディア・スーツ
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