ハロー・ヘミングウェイ

2001/03/02 東映第2試写室
ヘミングウェイの隣の家に住んでいたキューバ人少女の夢。
庶民の目から見たキューバ革命前夜。by K. Hattori


 1950年代半ばのキューバ。ハバナの女子高生ラリータはプレスリーに代表されるアメリカの文化に憧れ、卒業後は奨学金を得てアメリカに留学したいと考えている。彼女の暮らす家の隣には、アメリカ人のノーベル賞作家ヘミングウェイの広大な屋敷がある。彼女は時々この屋敷に潜り込み、プールを無断借用したりしている。屋敷の主人ヘミングウェイはそんな彼女を優しく見守る。声を交わしたことはないけれど、きっとヘミングウェイは優しい人に違いない。ラリータは勝手にそう思い込む。

 映画を観るのに特別な知識は必要ないと思うが、この映画のように、ある国に起きた歴史的な事件を前提とした物語の場合は、予備知識がないと映画の主旨がさっぱりわからなくなってしまう。この映画の場合、この時代のキューバがまだ革命前のバチスタ政権時代だったことや、バチスタ政権がアメリカの支援を受けながら反政府運動を弾圧していたことなどがわからないと、主人公のアメリカ留学への夢を聞いて、ボーイフレンドが彼女に軽蔑の眼差しを向ける理由がわからなくなる。映画の舞台になっている'56年という年代も重要。この年の暮れに国外追放状態だったカストロが自軍を率いてキューバに侵攻し、いよいよ本格的なキューバ革命が始まるからだ。この映画に描かれた穏やかなキューバは、革命という嵐の前の静けさの中にある。

 貧しいラリータは不幸な生い立ちの中でも必死に勉強し、ついにアメリカ留学への切符を手に入れるかに見えた。だがさまざまな偏見や彼女自身の生い立ちにより、留学への夢は風前の灯火。そんな彼女の夢と挫折を、この映画はヘミングウェイの代表作「老人と海」と重ね合わせながら描いていく。長い不漁でツキに見放されたかに見えた老漁師サンチャゴが、死闘の末に巨大な魚を釣り上げるが、港に持ち帰るまでに冷めに食い荒らされてしまう物語だ。ラリータはこれを希望のない悲劇だと解釈するが、彼女を励ます学校の先生は、この物語の終わりにあるのは悲しみではないと指摘する。ラリータは長い苦労の末に、アメリカ留学という大魚をつり上げたかに見えた。その先にあったのは、必ずしも彼女の希望通りにはならなかった結末。しかしこの映画が作られたキューバの人々なら、その先に「革命」という大変革があることを知っている。バチスト政権は倒され、ラリータを拒絶したアメリカはキューバから追い払われる。

 ただしここで多少複雑なのは、革命が樹立したことでヘミングウェイもキューバを離れてアメリカに帰ってしまうことだ。ラリータはヘミングウェイに救援を求めることを諦め、心の中でアメリカへの羨望にひとつの区切りをつけるわけだが、それでも「老人と海」の力強さはラリータを励まし続けるに違いない。「老人と海」はアメリカとキューバが一時期は親密な関係を持っていたことの証であり、キューバ人のアメリカに対する複雑な感情を象徴しているのかもしれない。革命から2年後、ヘミングウェイはアメリカで自殺してしまう。

(原題:HELLO HEMINGWAY)

2001年4月14日公開予定 新宿東映パラス3
配給:アップリンク


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