あした来る人

2001/02/20 東宝東和一番町試写室
ラブシーンがどれもアメリカ映画みたいにロマンチック。
川島雄三が昭和30年に撮った日活映画。by K. Hattori


 川島雄三が昭和30年に日活で撮った、井上靖原作の文芸作。一組の夫婦の離婚問題を軸に、男と女の愛情の不思議さ、結婚の意味などについて語っていく。上映時間は2時間近いのだが、その間に物語が大きく2回転ぐらいするのは原作が新聞小説だったからだろうか。夫婦の離婚だけをメインに描けば、全体で1時間半ぐらいの映画にまとまったと思う。登場人物それぞれのエピソードはみな魅力的だと思うが、話はこちらからあちらへとかなり大胆に飛躍して、焦点がつかみにくい部分もある。

 この映画が奇妙なのは、若い男女4人を見守る立場にある山村聰がこの映画の語り手であるにもかかわらず、物語の中でやけに影が薄いこと。彼は狂言回しの役目すら果たしていない。映画の最後になってようやく、この映画の語り手が山村聰演じる梶という男だったことがわかるのだ。映画の最後になって梶が若い4人を評して年長者として意見を述べるくだりがあるが、そんなに偉そうに意見が述べられるほど、梶は物語から離れた立場に立っていないし、格好良くスマートに立ち回ってもいない。年甲斐もなく、若い4人の世界と接した場所に立っているのがこの梶という男ではないのか。世話をしていた若い女に「私はあなたのアクセサリーだったのね」と言われて狼狽したり、女が別の男を追って旅に出たりするところで見せる表情は、彼がこの愛情相関図の中にどっぷり入り込んでいることを示している。彼は結局「自分は完成した人間だ」という言い訳をして、女とのややこしい関係から逃げ出したのではないか?

 梶の世話になっていた新珠三千代が、梶に拒絶された後すぐに三橋達也のところに向かう理由もよくわからない。そもそもその前に三橋と新珠が夜の町を歩くシーンがじつにロマンチックなものだったから、僕はそこから新珠三千代が梶のところに愛を告白に行く場面を唐突に感じてしまった。これは結局、彼女なりに自分の気持ちを精算したかったということか。しかしそれにしても、ここで「黒い石」という言葉からイヤリングに連想が至り、そこからさらに気持ちが梶のもとに飛ぶという流れはかなり強引だろう。このくだりは映画の中でもかなり重要な場面なので、そんな些細なことも気になるのだ。

 三橋達也と新玉三千代のラブシーンは何度かあるが、どれもまるでアメリカ映画のような格好良さ。これが当時の日活が持っていたモダンさであり、川島雄三の洒脱なセンスなのだろう。夜の町を三橋と新珠が歩くシーンはじつにムードたっぷりだし、山で再会したふたりが沢で初めてキスをする場面もすごい。遠征隊の事務所になった洋裁店の階段で見せる、ふたりの立ち位置や明暗のコントラスト。公園を散歩するシーンで、木の下でシルエットになったふたりが会話するシーンもよかった。

 あちこちにはさまれるギャグも面白い。遠征隊の出発当日に「すごい見送りですね」と言われて「少女歌劇の見送りとぶつかっちゃって」というくだりは可笑しかった。脚本は菊島隆三。ニュープリントでの上映。

2001年4月14日より5月11日まで 三百人劇場「川島雄三〜乱調の美学」
問い合わせ:アルゴピクチャーズ、三百人劇場


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