CHINESE DINNER
チャイニーズ・ディナー

2001/02/16 TCC試写室
『溺れる魚』の堤幸彦監督が描く密室の心理サスペンス。
限定された状況で演出の手練手管を見せる。by K. Hattori


 現在東映系で『溺れる魚』を公開中の堤幸彦監督が、柳葉敏郎とIZAMの主演で描く密室サスペンス劇。高級中華料理店の個室で、ひとりきりのディナーをとろうとしている男。店のオーナーでもある彼の名は星野龍一。表向きは実業家としての顔で売っているが、裏に回れば広域暴力団・極翠会の幹部格でもある企業舎弟だ。店での食事は、彼が日常の喧噪から逃れられる唯一の時間。だがそこにひとりの闖入者が現れる。星野に銃を向けたその男の正体は何者か? 何のために星野の命を狙うのか? そんな思惑を抱えたまま、殺し屋とターゲットの晩餐は静かに進行していく。物語は柳葉敏郎扮する星野と、IZAM扮する謎の殺し屋のふたりだけで進行。外部との接触は料理の出し入れだけで、チャイナドレスの給仕役には翠玲が扮している。出演者はこの3人のみ。カメラは映画の最後まで、中華料理屋のさして広くもない個室から一歩も出ていかない。完全な密室劇だ。まるで小劇団の芝居を見ているようなシチュエーションだが、そこは堤監督の作品だから、カメラが狭い室内を縦横無尽に動き回り、少しも観客を飽きさせることがない。

 堤監督はほぼ同じ時期に、対照的な作品が2本続けて公開されることになった。『溺れる魚』はメジャーで全国公開される作品で、出演者の数も多いし、撮影場所も都内を転々とする。時間的にも空間的にもスケールの大きな作品だ。対してこの『CHINESE DINNER』は単館公開のインディーズ作品だし、出演者の数も少なく、時間的にも空間的にもきわめて限定された範囲で物語が進行する。僕は『CHINESE DINNER』を観て面白いと感じたし、関心もした。しかしそれはただ単に『CHINESE DINNER』という作品に面白さを感じたり感心したわけではなく、タイプの違う『溺れる魚』と『CHINESE DINNER』が互いに補完しあって形作る「堤幸彦の世界」を面白く感じ、感心もしたのだ。『溺れる魚』はものすごく面白い映画だったが、その面白さの裏には『CHINESE DINNER』があり、『CHINESE DINNER』の裏には『溺れる魚』があるという関係性。ふたつは双子の兄弟のような作品だと思う。

 上映時間1時間18分は、1本の映画としては決して長い方ではない。しかし1つの部屋で登場人物が3人きりというシチュエーションでは、かなり工夫しないとこの時間を持たせることができない。この映画には回想シーンもイメージショットもない。すべてがスクリーンの中でリアルタイムに進行する。電話のシーンがあっても、その向こう側の声は聞こえない。かなり演劇的な空間だ。この制限の多いシチュエーションを、濃密な空間演出で描ききったのは、出演者もスタッフもそれぞれに精一杯の工夫をしているからだと思う。制限が多い映画だから『溺れる魚』のような世界の広がりはないのだが、この小さな部屋がその外側の大きな世界につながっているという雰囲気はうまく表現できている。小品なのでこれだけ観て唸るという作品ではないけれど、『溺れる魚』が気に入った人はぜひ観てほしい映画です。

2001年3月16日公開予定 渋谷シネパレス(レイトショー)
配給・問い合わせ:スローラーナー、ポニーキャニオン


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