詩人の恋

2001/02/05 TCC試写室
祖国を遠く離れ、妻を殺して自殺した実在の詩人の物語。
映画の狙いがよくわからない。by K. Hattori


 1993年、ニュージーランドで妻を殺して自分も自殺した中国人の詩人グー・チョン(願城)の生涯を、『美少年の恋』『わすれな草』のスティーブン・フォン主演で描く実録ドラマ。映画の中にも、グー・チョン本人の詩が多数引用されている。モデルになった人たちの多くが存命中でそれに遠慮したということがあるのかもしれないが、脚本の作りはちょっと中途半端。主人公のグーがなぜ自殺にまで追い込まれなければならなかったのか、その理由がさっぱりわからなかった。ドラマの演出もちょっとお粗末で、特に画面にベッタリとおセンチな音楽をかぶせる手法はなんとかならないのか。全体が北京語吹替になっていることもあって、言葉が芝居とうまく馴染んでいないような印象も強い。

 監督は日大芸術学部出身のケイシー・チャン。グー・チョンの妻レイミーを演じているのは『ぼくらはいつも恋してる!金枝玉葉2』『ホーク/B計画』のテレサ・リー。愛人チン・イーを演じているのは、日本人の森野文子。映画の中では主人公グー・チョンが妻と愛人のふたりを平等に愛し、自分を中心とした一種の楽園を作り上げようとするわけだが、映画の中では彼と愛人のラブシーンが大胆に描かれるわりには、妻との関係に同じような描写がない。これはたぶん、テレサ・リーは脱がない女優だけれど、森野文子は脱いだということなんじゃないだろうか。主人公と女性ふたりの愛情関係、特に性愛関係はこの物語の中で避けて通れないものだろう。だからそれにまつわるエピソードがあるのはおかしくない。しかし(おそらくは)出演女優が脱ぐか脱がないかだけで、ふたりの女性の描写がここまで違ってしまうと、映画はへんな方向にねじ曲がってしまうのではないだろうか。妻とのラブシーンがないなら、愛人とのラブシーンも不要。愛人とのラブシーンを作りたいのなら、妻とのラブシーンも工夫して入れるべきだった。でないとこの映画の中の愛人は、主人公にとって単なる性の愛玩物のように見えてしまう。本来存在したはずの、精神的な葛藤が希薄になってしまう。そうなると、クライマックスで愛人が再登場するシーンがまったく引き立たない。

 僕はグー・チョンについて何も知らないが、映画に登場するエピソードだけでも、ずいぶん無駄にされているものが多いと感じた。彼らがなぜニュージーランドに来なければならなかったのか。彼はなぜ詩が書けなくなってしまったのか。彼らの祖国中国への思い。夫婦の確執。子供を巡るやりとり。この映画の中では小さな扱いにしかなっていないこれらのエピソードの中に、この映画をもっと豊かにする可能性が封じ込められているのではないだろうか。主人公の行動をだらだらと追いかけるだけでなく、こうした脇のエピソードをうまく組み合わせていけば、この映画はもっと主人公の内面に肉薄したものになったと思う。あるいは海外で暮らす中国人の気持ちという、現代に通じる普遍的なテーマを浮かび上がらせることだってできた。かなり物足りない映画だ。

(原題:願城別恋 The Poet)

2001年3月3日公開予定 キネカ大森
配給:ギャガ・コミュニケーションズ


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