僕たちのアナ・バナナ

2000/12/22 東宝東和試写室
宗教的な寛容が、逆に人の心を頑なにする逆説。
信仰を守り通すのは難しい。by K. Hattori


 ニューヨークに暮らすカトリックの神父とユダヤ教のラビが、幼なじみの女性に恋してしまうというラブ・コメディ。神父は結婚を禁じられている。ラビは異教徒と結婚できない。親友同士でもあるふたりは、自らが守ってきた信仰や友情と恋愛の板挟みになって、苦悩し悶絶し心の中は千々に乱れる。男女の三角関係のドラマで、当然ながら一風変わったラブコメとしても楽しめるのだが、原題の『Keeping the Faith(信仰を守る)』が示しているように、これは現代社会では希薄になってしまった信仰心を描いた映画でもあるのだ。

 僕も含めて日本人の多くはキリスト教についてほとんど何も知らないし、ましてユダヤ教になどなれば無知もいいところ。ユダヤ人が身の回りにいないからこそ、ユダヤ陰謀本などが平気で出版できるというお国柄だ。キリスト教についても、プロテスタントについては多少知られていても、カトリックになるとてんでチンプンカンプンだったりする。日本人口の中でクリスチャンが占める割合は常に1%未満。しかもカトリックはその中でも少数派だし、あまり外部に情報を発信しないという面もある。ではクリスチャン人口が日本とは比較にならないほど多く、600万人という世界一のユダヤ系人口を抱えているアメリカでは、カトリックやユダヤ教についてどれほど知られているかというと、じつはこれもあまり知られていなかったりする。プロテスタントが主流文化の基礎となっているアメリカにおいて、カトリックもユダヤ教も傍系のマイナーな宗教に過ぎない。人種や宗教が混在しているアメリカでは、あまり相手の宗教について立ち入った話をするのはタブー。日常生活の中で、自分の所属している宗教共同体以外の様子を知ることは難しいのだ。自分の信仰を守るためにも、他人の信仰をなるべく尊重する。それが生活の中に宗教や信仰心が根付いている社会での常識なのです。

 この映画ではユダヤ教のラビが異教徒(カトリック)の女性と愛し合うようになるのが、重大なタブーとして描かれている。「君がユダヤ人なら何の問題もなかったのに」と恋人に言う若いラビは、それでも決して「君にユダヤ教に改宗してほしい」とは言わない。自分にとって信仰がとても大切なものだからこそ、相手の信仰についても口出ししないのが暗黙のルールだからです。この暗黙のルールについて、映画は何も説明しない。それがアメリカでは常識だからでしょう。ただ日本人がこれを見ると、「宗教なんてどうだっていいじゃないか」と思ってしまう。日本人で結婚相手の宗教や宗派を問題にするのは、皇室ぐらいのものですからね。

 最初はガラガラだった教会や会堂が、若い神父とラビの登場で超満員になるのが印象的。これは、信仰を持ちながらも現在のカトリック教会やユダヤ教に魅力を感じていない人たちが、ものすごく多いことの現れなのだ。このあたりは、かなり大きな問題提起だと思う。

 でも、字幕で説教を「説法」と訳すのもちょっとなぁ……。

(原題:Keeping the Faith)

2001年1月20公開予定 スカラ座2他 全国洋画系
配給:東宝東和


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