日本の黒い夏
[冤罪]

2000/12/20 松竹試写室
松本サリン事件で警察とマスコミはどう動いたか?
演出の切れ味があまりにも鈍い。by K. Hattori


 平成6年6月27日深夜に起きた松本サリン事件。死者7名と600名近い重軽傷者を出したこの事件が、オウム真理教による無差別殺人事件であったことは、今なら誰でも知っている。しかし当時は警察もマスコミも事件の第一通報者である会社員を犯人だと決めつけ、マスコミを通じてしか事件や捜査の状況を知り得ない国民のほとんどが、この会社員を犯人だと考えていた。警察の見込み捜査とそれを鵜呑みにしたマスコミの報道が、事件の犠牲者ですらある無辜の市民を冤罪に陥れてしまったのだ。『日本の黒い夏−冤罪−』は、この事件をモチーフにした社会派ドラマ。監督は『帝銀事件・死刑囚』や『日本の熱い日々/謀殺・下山事件』などの実録戦後史ものや、『海と毒薬』『深い河』『愛する』などの遠藤周作作品の映画化で知られる熊井啓。今回は平石耕一の戯曲「NEWS NEWS−テレビは何を伝えたか」をもとに、熊井監督自身が脚本を書いている。

 今までも警察のずさんな捜査と拷問まがいの取り調べによって無実の人間が濡れ衣を着せられる話は、熊井監督の『帝銀事件・死刑囚』や今井正監督の『真昼の暗黒』などで何度か映画化されている。今回の映画の新しさは、現代の冤罪事件が警察という権力の暴走によるものではなく、警察の情報リークとマスコミ報道、そして世論がぐるになって作り出す複合型の暴力になっていることを指摘している点だろう。自白偏重のあまり警察内での暴力がまかり通っていた時代と違い、今は警察もそうそう極端な取り調べはしない。しかしマスコミへの情報を操作して世間に「容疑者や参考人こそが犯人である」という予断を与えることで、こいつだと目を付けた容疑者を徹底的に追い詰めていくのは得意だ。大衆は重大な犯罪への因果応報を求めている。犯人が手っ取り早く見つかれば、それで安心できる。警察が容疑者を特定したなら、早く逮捕して懲らしめてほしいと思う。それが一般大衆の偽らざる気持ちというものだ。

 映画としては面白いところに目を付けたと思うのだが、残念ながらこの映画にはあまり力がない。一連のマスコミ報道について取材していた高校生たちが、あるローカルTV局の事件への対応ぶりを聞くという構成は悪くない。事件が回想形式で語られることで、要所だけを押さえて時間を短縮することができる。しかし回想シーンである事件取材の場面に迫力がないので、場面がいちいちTV局の会議室に戻ってくると白けてしまう。会議室に話を戻すのは、加熱した事件取材の「あの時」の雰囲気を、一歩離れたところから眺めてクールダウンさせる効果がある。しかしこの映画では取材中のエピソードに迫力がないため、会議室に戻るとクールダウンするどころか、なんだかサムイ状態になってしまうのだ。

 舞台がテレビ局なのに、セットがまるで新聞社のようにしか見えないのも困った。ジャーナリズムの原則を主張する高校生と、商業化されたマスコミの現実の中で生きる大人たちの対立もいまひとつ不鮮明。ぬるい映画だ。

2001年3月公開予定 渋谷東急3他 全国洋画系
配給:日活


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