フォーリン・フィールズ

2000/12/12 TCC試写室
戦火のボスニアで行われる「殺人ツアー」とは?
中盤までは面白いんだけど……。by K. Hattori


 「人を殺す経験がしてみたかった」と言って殺人を犯した少年がいる。「人間を壊してみたかった」と言って、ビデオ屋に爆弾を投げ込んだ少年がいる。どちらも異常な犯罪としてずいぶんとニュースで騒がれた。でもこれはそんなに異常なことなのか? 「一度でいいから人間を殺してみたい」と思う人間は、おそらくたくさんいるのだ。実際にそれを行動に移すかどうかは別問題だが、その機会さえ用意されれば、行動に移す人はいるだろう。殺人を行動に移さないのは、それによって警察に逮捕されるリスクがあるからだ。もしそのリスクが皆無なら、殺人行為に良心の呵責を感じない人が、「一度でいいから人を殺してみたい」という衝動を抑えることは難しい。殺人が合法的に行えるのはどこか? それは戦場だ。だが戦場での殺人には、自分も殺されるかもしれないというリスクが付きまとう。もし大金を積むことで、そのリスクが回避できるとしたらどうだろう。殺人は暇を持て余し刺激に飢えている金持ちにとって、最高にスリルのある娯楽にならないだろうか?

 舞台は紛争当時の旧ユーゴ。国連の平和維持軍に参加したデンマーク人兵士ヤコブは、上司のホルト軍曹からあるアルバイトに誘い込まれる。それは金持ちの軍事オタクを戦場に案内し、安全な場所からセルビア人を狙撃させるという「殺人ツアー」のガイドだった。現場に行って、自分が何に巻き込まれたかを知ったときにはもう遅い。目の前の小さな村は、ヤコブの目の前で銃撃にさらされ多数の犠牲者を出す。ヤコブは自分では1発の銃弾も発射しなかったが、誰を止めることもできず、ただぼんやりと事態の成り行きを見守ることしかできない。ホルトは一行を連れて村を離れ、ヘリで安全な場所まで脱出しようとする。だが狙撃者たちを追ってきた村人はヘリを爆破。ヤコブたちはセルビア人勢力の中で孤立し、脱出ルートを自ら切り開かねばならなくなる。

 現役の兵士が休暇中に「殺人ツアー」のガイドをするというアイデアは面白いし、その兵士が国連の平和維持軍に所属しているというのも皮肉のスパイスが効いている。国連軍は戦争の当事者ではなく、第三者的な立場で動く調停役、部外者だ。その部外者が、紛争にまったく何の関係もないさらなる部外者を連れてくるという面白さ。彼らにとって、紛争地の住民はハンティングの獲物に過ぎない。照準器の中の人間に狙いを付けて引き金を引く。乾いた銃声と共に、照準器の中で人が倒れる。血の匂いもしない。悲鳴も聞こえない。現実の殺人でありながら、それはどこかヴァーチャルなものだ。殺人願望の強かった少年が、「人を殺す前も後も、何も変わらない」とつぶやく姿が印象的だ。

 映画は中盤まで面白かったのだが、主人公がホルト軍曹から逃れようとするあたりから途端に詰まらなくなる。殺すか殺されるかという緊迫感が、あまり感じられないのだ。呑気に水浴びしている場合じゃないのです。戦争アクション映画だと思って観ると、失望すると思うぞ。

(原題:Pa fremmed mark)

2001年2月24日公開予定 新宿シネマ・カリテ(レイト)
配給:彩プロ 宣伝:オムロピクチャーズ


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