写真家の女たち

2000/12/04 映画美学校試写室
サラ・ポーリーが中年写真家と同棲する良家の子女。
スティーブン・レイはミスキャストだ。by K. Hattori


 サラ・ポーリーが良家に育ちながら家族から疎外された二十歳の女性に扮し、父親以上に年の離れた貧乏写真家スティーブン・レイと暮らし始めるという物語。監督のオードリー・ウェルズはハリウッドの人気脚本家として『好きと言えなくて』『ジュマンジ』『キッド』などの作品を手がけているが、これが長編映画初監督作となるそうだ。もちろん脚本も自分で書いている。話そのものはともかくとして、僕はこの映画にどうしても釈然としなかった。理由はいくつかあるが、まずはスティーブン・レイというキャスティングに釈然としない。レイは確かにいい年だけど、サラ・ポーリーとつき合っていて周囲から奇異の目で見られるほどには年を取っていないよ。彼は'49年生まれだから、この映画が完成した年にまだ50歳になったばかり。この役はあと5歳や10歳は年かさにしておかないと、サラ・ポーリー以前に彼とつき合っていた女たちとのバランスも取れない。

 この物語は『スタア誕生』の変種です。海のものとも山のものともつかない小娘が、才能と経験を持つ大人の男性と知り合い、彼の手助けで才能に磨きをかける。ふたりは愛し合うようになるが、女性が成功へのキャリアを一歩一歩確実に歩んでいくのと対照的に、彼女をリードしていたはずの男性側は酒と不摂生な生活に溺れ、仕事も減り、過去の栄光はどこへやらという風体になってくる。愛する恋人の成功を後押しするため、男は潔く身を引くわけだ。この映画のユニークなところは、この男がたったひとりの女性を世に出すのではなく、数年ごとに次々と新しい女性をナンパしては自分の恋人にし、徹底的に仕事を仕込み、才能を磨き上げていくことだ。まるで女性芸術家製造器。アゲマンならぬアゲチン男なのだ。しかし男と女の恋愛がからむことだから、その間には様々な葛藤があり、喜びと同じだけの苦しみや悲しみもある。その苦しみを糧にして、女たちは旅だって行く。原題の“グィネヴィア”というのはアーサー王伝説に登場する王妃の名前であり、スティーブン・レイ扮する写真家が自分の恋人に呼びかける時の名前でもある。邦題はそれを『写真家の女たち』という、よりストレートなものに変えているが、意味は同じようなものだ。

 この映画は『スタア誕生』なのだから、ヒロインを成功へと導く男性は、観客の誰が見ても颯爽とした、様子のいい男でなければならない。それが少しずつ幻滅を感じさせ、完全に落ちこぼれて行くところが『スタア誕生』の醍醐味ではないのか。男は輝きを増してきた恋人の前に、踏み台として薄汚れた我が身を投げ出すのだ。ところがスティーブン・レイは、最初に登場したときからくたびれていて、まったく格好良くないのだ。ヒロインの憧れの君だった頃の姿と、尾羽うち枯らしたときの姿に、ほとんど落差がないのだから困ってしまう。この役が例えばスコット・グレンだったりすれば、まったく違った雰囲気になったと思う。スティーブン・レイが悪いのではなく、そもそもキャスティングのミスなのだ。

(原題:GUINEVERE)

2001年1月下旬公開予定 銀座シネパトス
配給:KUZUIエンタープライズ 宣伝:ポップ・プロモーション


ホームページ
ホームページへ