東風

2000/11/28 映画美学校試写室
五月革命に失望したゴダールが撮った政治的映画。
映画文法の解体はみものだけど……。by K. Hattori


 ゴダールが1968年の五月革命挫折を経て作り上げた、ジガ・ヴェルトフ集団作品。この時期のゴダールについて山田宏一は『68年5月の動乱以後のゴダールは,〈ゼロに戻って再出発する〉ことを宣言する。ブルジョア文化としての映画の制度,方法,概念,すべてを根底的に廃棄し,五月革命の若き指導者であったダニエル・コーン・ベンディットと共同で《東風》(1969)を,マルクス=レーニン主義の思想家ジャン・ピエール・ゴランと共同で《万事快調》(1971)などをつくり,〈ジガ・ベルトフ集団〉を結成して,〈ヌーベル・バーグ〉によって打ち立てられた個人としての〈作家の映画〉の概念を否定し,反ブルジョア的な〈集団映画〉を志向し,マルクス=レーニン主義と階級闘争のテーマを,〈政治映画として撮るのではなく,純粋に政治的に映画化する〉試みを行う』と紹介している。(引用は平凡社の世界大百科事典「ゴダール」の項目より。)

 学生運動の盛り上がりが全国的なゼネストに発展し、ドゴール政権にとって最大の危機、フランスにとっても内乱寸前の社会的な危機と言われた'68年の五月革命。しかしその結果は労働者の雇用条件改善と、総選挙での与党の圧倒的な勝利という結果を生みだす。極端な左翼運動に危機感を持った大衆は革命運動を歓迎せず、世論はかえって保守化してしまったのだ。(ただし翌年にドゴールは引退に追い込まれる。)革命運動は挫折した。そんな中で、この『東風』は作られている。

 映画が訴えているのは、ブルジョアに迎合した修正主義の拒絶と革命の継続。当時中国で継続中だった文化大革命のスローガン「造反有理」が、映画の最後に声高に叫ばれる。ソ連と東欧の崩壊や中国の覇権主義、北朝鮮の孤立などで、共産主義の欺瞞や幻想が白日のもとにさらけ出されている現代から観ると、かなりヘンテコな映画です。左翼シンパだった当時のインテリには受けたかもしれないけれど、現代の観客が観てもまったくピンと来ない映画だろう。僕もまったくピンと来なかった。ここにあるのは革命運動へのノスタルジー、あるいは他国で継続中の革命闘争へのシンパシーでしかない。『東風』の訴えかけるメッセージは今となっては無意味だし、この映画が作られた当時ですらもはや意味を失っていた。それは歴史が証明しているが、動いている歴史の渦中にいる人にはそれがわからない。結果として、残された映画はなんだかお笑いぐさのシロモノになってしまう。それまでフランス映画のトップランナーだったゴダールは、たぶんこのあたりから脇道に逸れて、道なき山野を駆けめぐる独自路線に入ってしまったのでしょう。

 この映画のメッセージはまったく無意味だけれど、この映画がそのために実行した、過激なまでの映画文法解体には今でもインパクトがある。こうした映像と音声のコラージュはゴダールのスタイルとして確立し、後の『映画史』などにもつながっていく。そういう意味では、ゴダールにとって重要な作品なのかもしれない。

(原題:LE VENT D'EST)

2001年1月中旬公開予定 シネセゾン渋谷
配給:ザジフィルムズ


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