恋の骨折り損

2000/11/10 メディアボックス試写室
ケネス・ブラナーがシェイクスピアの喜劇をミュージカル化。
ミュージカル好きの僕もこれはダメでした。by K. Hattori


 シェイクスピアの恋愛喜劇を、『ヘンリー五世』や『から騒ぎ』『ハムレット』など既にシェイクスピア作品の映画化に定評があるケネス・ブラナーが映画化したミュージカル喜劇。シェイクスピア作品のミュージカル化と言えばコール・ポーターの「キス・ミー・ケイト」とバーンスタインの「ウェストサイド物語」が有名だが、それらは劇の進行に合わせてオリジナルの曲を作っている。ところがこの『恋の骨折り損』では、場面進行に合わせてその場面にもっとも相応しい既成の名曲を借りてくる。使われている曲はアーヴィング・バーリンが4曲、ガーシュインが3曲、ジェローム・カーンが2曲、コール・ポーターが1曲といった案配。映画の中で最初に使われているガーシュインの「I'd Rather Charleston」がややマイナーな曲だが、それ以外はメロディを聴けば誰でも知ってる珠玉の名曲揃い。僕はミュージカルが大好きだし、好きな作曲家の筆頭はガーシュインで、以下ワイル、カーン、バーリン、ポーターといった名前をぞろぞろ挙げることに躊躇しない人間だ。当然この選曲には曲名を聞いただけでワクワクしてくるのだが、映画そのものにはどうしても乗れなかった。

 既成曲を使うことは悪いことじゃない。MGMの傑作ミュージカル『イースターパレード』『雨に唄えば』『バンドワゴン』『巴里のアメリカ人』などは、どれも既成曲を上手く物語に織り込んで成功している。最近の映画では、ウディ・アレンの『世界中がアイ・ラヴ・ユー』も既成曲を巧みに使っていた。でも『恋の骨折り損』はまったくダメ。映画が既成曲に負けている。この映画で使われた曲はどれも過去に他のミュージカル映画で使われたものがほとんどで、曲はそれらの映画が描き出した名場面と固く結びついている。『恋の骨折り損』はそうした過去の名作が持つイメージを打ち壊せない。結果としてこの映画のミュージカル場面は、ミュージカル映画名作群の不細工なイミテーションになり果てている。そもそも歌えもしなければ踊れもしない俳優を集めて、これらの名曲に挑ませようとするのが無謀。唯一鑑賞に堪えるのは、ミュージカル俳優出身のエイドリアン・レスターのダンスと、同じくミュージカル出身のネイサン・レインの熱唱ぐらいではないのか。ダンスシーンの演出も「なんじゃこりゃ!」というもの。引用やパロディならもっときちんとやってくれ。特にあのプールはひどい。バズビー・バークレーがあの世で泣いてるぞ。

 アリシア・シルバーストーンがフランスの王女というキャスティングも最悪。彼女がシェイクスピアの台詞を喋るとき見せる、唇の動きの下品さには背筋がぞっとする。こうしたちょっと下品な喋り方は、彼女が普通の現代っ子を演じているときには役の元気さやバイタリティにつながるのだが、どう考えてもそれは王女には似つかわしくない。監督のケネス・ブラナーが王のご学友というのも、年齢的にきついなぁ。収穫はマシュー・リラードの意外な好青年ぶりぐらいのものか。

(原題:LOVE'S LABOUR'S LOST)


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