シックス・デイ

2000/11/10 東宝東和試写室
クローン人間に家族と人生を奪われた男の孤独な戦い。
アーノルド・シュワルツェネッガー主演作。by K. Hattori


 アーノルド・シュワルツェネッガーの主演最新作。クローン技術が発達した近未来が舞台。移植用臓器や動物のクローンは法的に認められていたが、人間のクローンは倫理的にも法的にも認められてはいない。人間のクローンは「6d法」と呼ばれる法律によって、固く禁じられていた。だが法律は破られるためにある。禁断の人体クローン技術は世間に公表されることなく実用化されており、その合法化を目論む人々がいた。クローン技術と記憶再生技術を組み合わせれば、生きた人間の完全な複製が可能だ。シュワ演じる主人公アダム・ギブソンは知らぬ間に自分のクローンを作られ、人生を乗っ取られてしまう。ある手違いがこの事態を生み出したのだ。クローン人間の開発者たちは、アダムを抹殺することで証拠の隠滅をはかろうとするのだが……。

 クローン羊が作れるのだから、クローン人間を作るのも技術的には可能だろう。ただし遺伝子は複製できても、クローン人間はもとの人とは別人格。病気やケガのあとなど後天的な特徴は遺伝子からコピーできないし、生まれたばかりのクローンは赤ん坊だし、記憶もコピーされるわけではない。この映画の中では、そうした技術的問題を「シンコード」という架空のテクノロジーで解決してしまう。これは眼底の光反射作用から脳の記憶情報を瞬時に取り出す技術。DNA情報とこのシンコードさえあれば、その時点の人間をそっくりそのまま再生することができる。人間はこれによって、実質的な不老不死を手に入れることができるわけだ。

 自分の誕生日を祝おうと待ちかまえている家族のもとへ、いそいそと帰ったアダムが見たのは、家族に誕生日を祝われている自分ソックリの男の姿。驚くアダムに銃を突きつける見知らぬ男女は、それがアダムのクローン人間だという。いつクローン人間が作られたのか。誰が何のためにアダムのクローンを作る必要があったのか。アダムは自分の人生を取り戻すために、少しずつ事件の核心へと近づいて行く。「同じ人間がふたりいる」という映画ならではの見せ場を序盤ではなるべく制限し、最後の最後にたっぷり満喫させてくれるのはうれしい。映画に登場するクローン技術の中では「シンコード」の方が重要だとは思うが、それよりもシュワルツェネッガーがふたりいるという映像面での面白さを中心に物語を組み立てているのは正解だと思う。『エンド・オブ・デイズ』で多少お疲れ気味だったシュワですが、今回はそれを挽回するようにたっぷりと活躍してくれます。

 敵役の殺し屋たちが、死んでも死んでも次々に再生されて蘇るところは面白い。殺しても死なない不死身のターミネーターを演じたシュワルツェネッガーが、生身の身体でありながら決して死なない相手と戦うのだ。クローン人間というアイデアから人間性や人格の固有性というテーマにも多少目配せしつつ、それでもあまり哲学的な方向に進んでいかないのは賢明だった。あまりそちらに進むと、フィリップ・K・ディックの世界になってしまう。あくまでもこれはアクション娯楽作なのだ。

(原題:THE 6TH DAY)


ホームページ
ホームページへ