北緯17度

2000/11/02 映画美学校試写室
ベトナム戦争を北ベトナムの小さな村から描く記録映画。
あ〜、俺も平和ボケしているなぁ、と痛感。by K. Hattori


 第二次大戦後に起きたインドシナ戦争の結果、ベトナムは北緯17度の軍事境界線をはさんで南北に分裂。南ベトナムではアメリカ支援のもとで反共独裁政策がとられ、それに反対する共産主義者や民族主義者たは南ベトナム解放民族戦線を結成。解放戦線への北ベトナムからの支援を断ち切るため、1965年にアメリカ軍は北爆を開始する。1973年まで続くベトナム戦争の始まりだ。戦争初期の1967年、オランダの映画監督ヨリス・イヴェンスは、ベトナム人のスタッフたちと共に北緯17度の軍事境界線のすぐ北にある小さな村に入る。頭上を飛ぶ米軍機。次々と落ちてくる爆弾や砲弾。その中で営まれている人々の暮らしを、北ベトナム側の視点で記録したのがこの映画だ。なお翌年の旧正月にはテト攻勢によって南北の軍事均衡状態は崩れ、ベトナム戦争は北ベトナムと解放戦線が主導を握るようになる。この映画は北ベトナムが軍事的に優位に立つ以前の、張りつめた緊張感をしっかりと記録している。

 ハリウッド映画に出てくるベトナム戦争は常にアメリカ側の視点から描かれており、ベトナム解放民族戦線の兵士たちは「顔の見えない敵」として描かれることが多い。アメリカの兵士は生き生きとした表情をしているが、解放戦線の兵士は顔が映されても無表情。しかし立場が変わればこうした描写も正反対になる。北ベトナムから見れば、アメリカ軍の方が「顔の見えない敵」だ。小さな村の人々や兵士たちの表情は豊かで生き生きとしているが、アメリカ兵はほとんど姿を見せず、爆弾や砲弾の向こう側に隠れている。捕虜になったパイロットの表情からも、一切の感情が読みとれない。戦争はこうして、互いに相手の顔を正視しないところで成立する。

 映像資料としてはとても貴重なものだと思う。爆弾が雨あられと降ってくる村での撮影は命がけで、カメラの前に爆撃で死んだ村人たちの遺体がずらりと並べられているシーンなどを観ると、「撮影クルーも運が悪ければこうなっちゃうんだろうになぁ」という無言の迫力がある。ベトナム戦争を取材中に命を落としたジャーナリストは大勢いる。それでも命の危険を顧みず取材を行っていた人たちは、自らの命を担保にした危険な取材をしてでも、世界に伝えなければならないことがあると信じていた。事実そのメッセージが、世界中の反戦運動の大きな原動力になっていったのだと思う。

 ただやはり戦争から30年以上経った今の視点から観ると、この映画はちょっと異様なのです。子供たちが本物の銃を肩からぶら下げて戦争ゴッコをしていたり、年端もいかない子供が器用に小銃を分解して見せたりする様子は確かに勇ましいけど、ちょっとグロテスクでもある。女性たちが棒きれを振り回す地上戦の訓練風景も、太平洋戦争末期に日本で行われていた竹槍訓練を連想してしまう。この映画が賞賛しようとしている北ベトナムのねばり強さや闘志を観て、僕は尻込みしてしまった。現代の日本とは価値観が違いすぎる。まるで別世界だ。

(原題:17EME PARALLELE LA GUERRE DU PUPLE)


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