しあわせ

2000/10/23 メディアボックス試写室
クロード・ルルーシュ監督の名人芸が味わえる。
偶然と必然が織りなす人の世の不思議。 by K. Hattori


 『男と女』『愛と哀しみのボレロ』のクロード・ルルーシュ監督による、愛と悲しみと癒しのドラマ。白熊が雪原の上で取っ組み合いをしている映像から始まり、ビデオと演劇を合体させたパフォーマンス、ベニスの町を駆け回るバレエダンサーと映画の撮影隊、トルコの熱狂派修行僧たちのダンス、絵画のオークションなどの場面が、次々と断片的に登場しては消えて行く目が回るような導入部。やがてこれらの断片は少しずつ整理され、相互に関係を持たないふたつの物語へと流れ込んでいく。一方はベニスやパリを舞台に、「嘘と真実とは同じぐらい価値がある」とうそぶく贋作画家ピエールと、元バレエダンサーで、8歳の息子を女手ひとつで育てているミリアムのロマンス。もう一方は、モントリオールの大学で未来学の授業を受け持ち、「真実のみを語ることこそが未来学だ」と断言するマルクと彼の婚約者の物語。ふたつの物語は映画の中盤まで互いに干渉することなく進行し、ある出来事を通じて一気に合流する。

 現在と過去と未来、現実と幻想が何の断りもなくつなぎ合わされる構成には最初面食らうが、これにはしばらくすると慣れてきて、驚きはするが混乱はしなくなる。むしろある場面に別の場面が素早く挿入されたり、回想シーンだと思わせておいて即座に次の場面にジャンプしたりする構成は、ややもすると「出来すぎ」で「予定調和」が過ぎるこのドラマに適度な緊張感を与え、観客をハラハラさせたりドキドキさせたりしてくれる。

 映画というのはたいていすべての段取りがあらかじめ決まっていて、筋立ての中に偶然の要素などあり得ない。この映画は、現実の中にある『偶然と必然(原題)』をテーマにすることで、見えない手に導かれる人生の不思議さを描いている。ビデオとライブを組み合わせたパフォーマンスが映画の最初と最後に登場するが、このパフォーマンスがこの作品全体を象徴している。ビデオに撮影され編集された映像は、生身の現実ではない。でもそれは生身の現実にごく近いところにあるし、場合によってビデオの現実が生身の人間を動かしたり、逆に生身の現実がビデオの中身に影響力を与えたりもする。未来学者のマルクは、偶然手に入れたビデオの映像に導かれて長い長い旅に出る。ビデオに写されたものが、真実だとは限らない。でも彼はそれが真実だと信じる。

 ものすごくロマンチックな映画であると同時に、ものすごく悲惨な映画でもある。しかし語り口がなめらかなので、ジメジメした印象は一切ない。話の流れはだいたい予想がつくが、予想通りに物語が展開したとしても、映画はこんなに楽しい。観客が何かを期待して待っていると、そこにちゃんと期待したものが差し出される気持ちよさ。痒いところに手が届く気分。マルクがビデオを受け取るとき、背後にかすかに流れていたテーマ曲が全面に押し出されてくる場面など、芝居と音楽のかみ合わせがあまりに気持ちいいので、それだけでとてつもない幸福感が味わえてしまったりする。まさに名人芸。

(原題:HASARDS OU COINCIDENCES)


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