ハムレット

2000/10/05 松竹試写室
現代ニューヨークの実業界を舞台にしたシェイクスピア劇。
イーサン・ホークが主人公ハムレットを演じる。by K. Hattori


 ご存じシェイクスピアの超有名戯曲を、イーサン・ホーク主演で映画化したもの。映画の中のハムレット役者としては、彼が史上最年少だという。ホークが主演したことで、「インテリ青年の苦悩」というこの映画のモチーフがはっきりすることになった。デンマーク王の暗殺と王子ハムレットの復讐という物語は現代のニューヨークに移植され、巨大企業“デンマーク社”の後継者騒動という形に読み替えられている。ただし台詞はすべてシェイクスピアのまま。王が社長になり、王妃が社長夫人になり、宰相が会社の役員になっても、呼び名は王や王妃や宰相のままだ。しかしビジネス・スーツにきっちり身を固めた新社長が「王の後継者」「王国の継承」などという言葉を吐いても、それが巨大企業の比喩であるように聞こえるから不思議。シェイクスピア劇の大げさな台詞が、ニューヨークの実業界内部に起きた骨肉の争いという場面と奇妙なシンクロを見せるのだ。

 シェイクスピア時代の戯曲を、シェイクスピア時代の衣装や設定で演じなければならないという決まりはない。そもそもシェイクスピア自身にしたところで、数百年前のデンマークの物語を当時の衣装や風俗の中で演じたはずだ。そこで演じられている物語は、シェイクスピアから見ても遠い外国の昔話。だがその中にはシェイクスピア時代の人々の心理や、時代を超えた普遍的な人間像などが盛り込まれている。だからこそ、シェイクスピアの戯曲は今でも人々の心をつかむのだ。シェイクスピア作品の中には、現代人と同じ血が流れている。問題はそれをどうやって現代人に伝えるかだろう。

 時代劇の中では残酷な人殺しも凄惨な復讐劇も、すべて当たり前のように起きてしまう。弟王が兄を毒殺するという話を聞いても、「なるほど、昔はそんなことがあったのだろう」と観客は感じる。ハムレットが幽霊を見たり狂気を装っても、「昔の人は迷信深く、執念深くもあったのだ」と驚きもしない。オフィーリアが父と恋人を失って狂気に陥っても、「まあ、気の毒ね」程度にしか関心を持ってもらえない。「時代劇ならどんなことだって起きる」という観客の思い込みは、物語の中にある現代性を意識の外に追いやってしまう。しかしこの『ハムレット』はどうか。我々はシェイクスピアの古典的悲劇の中に、現代に通じる人間の醜さや愚かさがあることを、否が応でも直視せざるを得なくなる。

 弟王クローディアスの野心。王妃ガートルードの愚かさと弱さ。ポローニアスのような男はいかにもいそうだし、そんな父に振り回されるオフィーリア。権力や財力に媚び、卑屈な作り笑いを浮かべるローゼンクランツとギルデンスターン。そしてひとり苦悩するハムレット。どれも「いるいる、こんな人は確かにいるよ!」という共感が得られる人物ばかりだ。僕が特に気に入っているのはビル・マーレー演じるポローニアスと、ダイアン・ヴェノーラ演じるガートルードだ。このふたりは、まさに20世紀の空気を呼吸している人物だった。

(原題:HAMLET)


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