遠足
Der Ausflug

2000/10/02 シネカノン試写室
ウィーンの精神病院に併設された「芸術家の家」で暮らす人々。
五十嵐久美子監督初の劇場ドキュメンタリー映画。by K. Hattori


 オーストリアの首都ウィーンの郊外にあるマリア・グギング国立神経科病院には、「グギング芸術家の家」と呼ばれる特別な建物がある。ここは病院に入院するアーティストたちの、アトリエ兼住まいなのだ。もともとグギング病院の医師だったレオ・ナプラディル博士という人が、患者たちの描く絵の中に芸術的に優れたものが数多くあることを見いだしたのが発端だった。博士は熱心に絵画の指導を続け、'70年には最初の展覧会を開催。それが世界中の美術関係者たちの注目を集め、'81年には「芸術家の家」が病院敷地内に独立した建物を確保できるまでになったという。今では彼らの描く作品には高値が付き、「芸術家の家」のアーティストたちは自分の作品を売ったお金で自活できるまでになっている。

 この映画はテレビ・ドキュメンタリーの世界で活躍してきた五十嵐久美子監督が、初めて作ったドキュメンタリー映画。テレビの世界ではいろいろな自主規制があって、「精神病院の中にいる世界的アーティストたちの生活ぶり」を作品にできる余地がなかったという。ただしこの映画、テレビとは異なるものを作ろうとする余り、極端に説明を配してわかりにくい映画になっている。監督はプレスの中で『彼らに感じた孤独な幸福感を描きたかった』と述べているが、僕には単につまらなく退屈な映画に思えてしまった。タイトルになっている『遠足』とは、「芸術の家」のアーティストたちが施設から出て近所に買い物に行ったり、ガールフレンドに会いに行ったり、展覧会のため外国に出かけたりすることを指しているのだが、映画からは「外出」のウキウキドキドキするような楽しさがまったく伝わってこなかった。

 この映画は、この手のドキュメンタリー映画なら当然観客が知りたいと思うであろう、ありとあらゆる情報を排除することで成り立っている。例えば「芸術の家」の成り立ち。アーティストたちが作品を作る過程の一部始終。画商や他のアーティストなど、外部からのグギング作品の評価。入居者たちの生い立ち。部分的に説明されているものもあるがほとんどはなにも語られず、「画面に出ている範囲内で勝手に解釈して下さい」と観客に丸投げされている。映画を観る人たちがあらかじめグギング作品を知っており、そこに愛着を持っていれば、「なるほどあの絵はこのジイサンが描いたのね」と面白く観ることもできるのでしょうが、僕はまったく何の予備知識もなしに映画を観たから退屈でしょうがない。頭のおかしなジイサンたちが、もぐもぐ口を動かしながら右や左に動き回るだけの映画の、一体どこが楽しいのだ?

 同じような障害者の芸術を描いた映画なら、佐藤真監督の『まひるのほし』の方が10倍も20倍も面白い。アーティストたちの個性がきちんと感じられたし、その個性の上にどんな作品が作られるかという関連性がわかると、思わずニヤニヤ笑いだしてしまうような楽しさがあった。『遠足』が目指したのはそれとは別の方向だったのかもしれないが、それでもこれはちょっと退屈。


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